新唐書卷一百九十九 列傳第一百二十四 盧粲

盧粲

  • 盧粲は幽州范陽の人、北魏の侍中盧陽烏の五世孫。祖父の盧彦卿も著作に優れた。盧粲は元服したばかりで進士に及第。神龍中、給事中に累進。節愍太子(李重俊)が立った際、韋后がこれを憎み中宗に衛府の封物を東宮に給するよう仕向けたが、盧粲は「太子は宗廟祭祀の主、歳時の服用は百司から取るべきもの。《周礼》では諸王用の財器は歳末に会計するが、王と太子だけは会計しないとある。今、諸王と同列に扱うのは古の法に反する」と駁奏し、詔でこれを容れさせた。
  • 武崇訓(安楽公主の夫)の死に際し墓を陵の制で扱う詔が出ると、盧粲は「王・公主の墓に陵と称する例はなく、永泰公主の場合は特例に過ぎず後例にできない、崇訓の墓は諸王に準じるべき」と反対した。詔は「安楽公主は永泰公主と変わらぬ扱いとし、崇訓は主と同穴に葬るのだから陵とすることに疑いはない」としたが、盧粲は「陵の称号は本来至尊にのみ用いる、崇訓の父の地位でも雍王(李賢)に及ばず、雍王の墓すら陵と称さないのに、崇訓が主の縁だけで陵を名乗れるのか」と固執し、結局詔で認められた。公主は大いに怒り盧粲を陳州刺史に出したが、盧粲は「議論が通ったのなら遠方でも構わない」と言い放った。開元初、秘書少監となった。
  • 従父の盧行嘉は雍王の記室として学識で知られた。盧粲は固安県侯に累封され邠王傅で終え謚を景とした。