新唐書卷一百九十七 列傳第一百二十二 薛元賞

薛元賞

  • 薛元賞は出自不詳。太和初、司農少卿から漢州刺史に出た。李徳裕が剣南西川節度使のとき維州降伏を受け入れ朝廷に報告したが牛僧孺の反対で退けられた際、薛元賞は撫定の好機を逃すべきでないと極言したが用いられなかった。段文昌が徳裕に代わった際、薛元賞の治績を最高と評価した。司農卿・京兆尹に累進、武寧節度使に出て泗口の重税を廃止し民の便を図った。邠寧に転じた。
  • 会昌中、李徳裕執政下で再び京兆尹となった。市中に黛墨で肌を刺青し力を誇り坊里を掠める侠少年が多かったため、着任三日で悪少年三十余人を捕らえ杖殺し市に晒すと残党は恐れて文身を消した。吏事に長け時弊を的確に処理し、勢力を頼んで府県を乱す禁軍を数々と争い折伏させ、百姓は安んじた。検校吏部尚書、のち工部尚書、諸道塩鉄転運使に累進。李徳裕が弟の薛元亀を京兆少尹に任じた縁で、宣宗即位後の李徳裕失脚に連座して薛元亀も崖州司戸参軍に貶され、薛元賞も袁王傅に左遷された。のち昭義節度使に復し任地で没した。