新唐書卷一百九十七 列傳第一百二十二 盧弘宣

盧弘宣

  • 盧弘宣は字を子章といい、元和中、進士に及第。鄭権の襄陽幕府に招かれ、後任の李への代替わりで前後の長官の不和に巻き込まれたが、初対面から沖遠な人柄で警戒を解いた。裴度の東都留守幕府で判官として累進し給事中に至った。駙馬都尉韋処仁が虢州刺史に任じられた際、適任でないとして詔の発布を差し止めた。
  • 開成中、山南・江西の大水害に際し崔琯とともに賑恤を分担し功があった。京兆尹・刑部侍郎を経て剣南東川節度使に任じられた際、飢饉の中で盗賊が結集し豪族が王を自称する乱れた地で、檄文で脅諭すると賊党は次第に降り、強硬な者は軍に編入し弱い者は農に戻した。峡中に逃げた首謀者も吏が捕らえて誅した。義武節度使に転じ、寛厚な政治で民を安んじたが法を犯す者には厳しかった。河朔の旧法で軍中の私語が死罪とされていたのを廃止した。飛狐に貯えられた軍粟三十万斛の下賜に際し費用を計算して不足が出ないよう吏に守らせ、翌春の大旱には民に力に応じて取らせ、幽・魏が飢饉に苦しむ中で易・定だけは自足し、秋には貸した分を収めて軍糧を潤沢にした。工部尚書・秘書監を歴任し太子少傅で致仕、享年七十七で没し尚書右僕射を追贈された。士庶の家祭に定まった儀式がないことを憂い十二家の祭法を統合して一書とした。

盧弘宣子 告

  • 子の盧告は字を子有といい、進士に及第し給事中で終えた。