新唐書卷一百八十二 列傳第一百七 王溥

昭宗の危難と最期

  • 王溥、字は徳潤。出身地は伝わらない。進士に及第し、礼部員外郎・史館修撰に累擢された。崔胤が武安を鎮めた際、観察府判官に表挙されたが、胤が赴任しなかったため、溥は留まって集賢殿直学士を務めた。御史中丞の趙光逢が刑部郎中知雑事に奏上した。昭宗が東内で難に遭った際、溥は崔胤と共に衛軍を説得して劉季述らを殺させた。帝の復位後、急遽翰林学士・戸部侍郎に抜擢され、中書侍郎で同中書門下平章事となり戸部を判じた。特に功績を挙げることができず、太子賓客に罷められ東都に分司した。まもなく太常卿・工部尚書として召された。朱全忠が侵逼するに及び、淄州司戸参軍に貶され、自尽を命じられ、裴枢らと共に屍を黄河に投げ込まれた。