昭宗蒙塵期の宰相たち
- 盧光啓、字は子忠。出身地は詳らかでない。進士に及第し、張浚に厚遇され、兵部侍郎に累擢された。昭宗が鳳翔に行幸した際、宰相たちは皆従わなかったため、光啓に中書省の事務を総轄させ三司も判させ、左諫議大夫に進み機務に参与させた。再び兵部侍郎・同中書門下平章事を拝したが、まもなく罷められて太子少保となり、吏部侍郎に改められた。
- 当初、光啓が政権を執っていた頃、韋貽範・蘇検が相次いで宰相となった。貽範、字は垂憲、龍州刺史から通州に貶されていた。検は洋州刺史であった。二人は行在に馳せ参じ、貽範は給事中に遷った。李茂貞の推薦により、旬日で工部侍郎・同中書門下平章事となり度支を判じた。権臣に頼り、傲慢で不遜であった。母の喪に服して免職となったが、一月余りで喪服を脱がされ復職した。数ヶ月経たずに没した。検は初め中書舎人を拝し、貽範が李茂貞に推薦したことにより工部侍郎・同中書門下平章事を拝した。李茂貞は朱全忠と好誼を通じており、天子と姻戚関係を結ぼうと検の娘を景王妃として貰い受け、恩を固めようとした。帝が京師に帰還すると、検は環州に長流され、光啓は死を賜った。