李遜
- 李遜、字は友道。趙郡李氏の一族。濠州の反乱を鎮撫し、浙東観察使として福建の不要な戍兵を廃止した。給事中として天子の日々の政務対応の改善を建言。山南東道節度使として呉元済討伐を後方支援したが、高霞寓との不和で太子賓客に左遷された。忠武節度使として呉元済平定後の混乱を収拾。長慶初年、幽・鎮の乱で誅討を進言し、いち早く出兵した。63歳で没し、尚書右僕射・諡貞を贈られた。
遜子 方玄
- 李方玄、字は景業。江西府判官として冤罪の見直しを行い、池州刺史として戸籍を精査、賦役の公平を図った。処州刺史で終わった。
遜弟 建
- 李建、字は杓直。孝行で知られ、貞元中に校書郎となった。徳宗に文学の才を見出され左拾遺・翰林学士となった。順宗即位後、王叔文の意向に反対を貫いた。清廉を守り通し兄と共に進士に及第した経緯が知られる。刑部侍郎で没した。
建子 訥
- 李訥、字は敦止。浙東観察使として厳格すぎる統治で追放され朗州刺史に貶された。河南尹として洛水の氾濫時の対応が批判された。宰相楊収の邸宅拡張の誘いを拒んだ気骨で知られ、太子太傅で没した。