新唐書卷一百四十四 列傳第六十九 嚴礪
生涯
- 嚴礪は字を元明といい、嚴震の従祖弟。若くして仏道を学んだが太守に才を見出され玄武尉。嚴震の下で山南に仕え軽躁で便佞な性格であった。興州刺史を経て震の死後、遺言により節度使を継いだが、諫議大夫らは「資望が浅く節度使にふさわしくない」と反対したものの帝は聞き入れなかった。
- 在任中は貪欲で民は苦しんだ。鳳州刺史馬勛を讒言で賀州司戸参軍に左遷。劉辟討伐の功で検校尚書左僕射、東川節度。吏民の田宅百余か所を不法に没収し税外の徴収を重ねた。元和4年(809年)死去、司空追贈。のち監察御史元稹がその贓罪を弾劾し悪諡を求めたが、既に死去していたため田宅・奴婢は主に返還され税外の徴収分は蠲除された。