新唐書卷一百四十一 列傳第六十六 魏少游

生涯

  • 魏少游は字を少游といい、邢州鉅鹿の人、吏才で知られた。天宝末、朔方水陸転運副使。粛宗の霊武幸に際し宮室の造営を任されたが、豪華すぎる宮殿を見た粛宗に「大事を為そうというのに、なぜこのようなものが必要か」と諭され、造営を控えさせた。
  • 両京平定後、鉅鹿県侯に封じられ陝州刺史。相州での王師敗北の混乱の中でも動揺せず鎮守した。京兆尹に抜擢されたが李輔国に疎まれ衛尉卿に左遷。漢中王李瑀と共に軍馬供出に異を唱えて渠州長史に左遷されたが、再び京兆尹に復し、五品以上の高官の親族が京兆の官に就くことを禁じる建言を行った。大暦2年(767年)、江西観察使、刑部尚書、趙国公。大暦6年(771年)死去、太子太師を追贈された。四度京兆尹を務め、赫々たる名声はないが人材登用に優れ、規律を保った治績があった。