新唐書卷一百三十 列傳第五十五 解琬

辺境安定に尽くした将帥

  • 解琬、魏州元城の人。幽素科及第、新政尉。成都丞から監察御史に躍進。西域の羌夷撫慰の任にあたり、喪に服したい旨を武后に願い出て許され、服喪後に赴任。侍御史として烏質勒及び十姓部落を安撫、御史中丞・北庭都護・西域安撫使を兼任。郭元振と親しく宗楚客に憎まれ滄州刺史に左遷。
  • 景龍中、御史大夫兼朔方行軍大総管。20年にわたり辺境を歴任し、農耕と訓練を重視した長期戦略で華夷ともに安んじた。景雲2年、朔方軍大総管に再任し戍卒10万を削減する軍縮を実施。老いを理由に致仕を願い出て許され、金紫光禄大夫として厚遇される。
  • 吐蕃の侵寇で左散騎常侍に再任され境界画定と十姓降戸の融和に努めた。吐蕃の不信を予見し10万の兵の駐屯を建言、その冬に吐蕃が実際に侵攻し撃退された。再度の致仕を願うも許されず太子賓客。開元5年、80余歳で同州刺史のまま没した。