音楽・術数の考証
- 博州清平の人。貞觀年間、祖孝孫の楽律改訂に加わり、尺八の制作で音律に精通すると評価され弘文館に召された。周武帝『三局象経』の解読でも知られた。
- 太宗の命で陰陽家の書の誤りを整理し、五十三篇にまとめて頒布させた。特に『卜宅篇』『祿命篇』『葬篇』の三篇が採録される。
- 『卜宅篇』:五姓(宮・商・角・徴・羽)で吉凶を占う説を、音の類似による牽強付会と批判し、姓氏の由来(姫姓・子姓など)や春秋の水姓・火姓の分類の矛盾を挙げて論駁した。
- 『祿命篇』:祿命説(生年月日で運命を占う)を、荘公・秦始皇・漢武帝・北魏孝文帝ら実在の帝王の生年月日と実際の生涯を照合し、五度にわたり法則が的中しないことを実証した。
- 『葬篇』:葬地・葬日・葬時の吉凶を占う俗説を、『易』『礼』『春秋』の実例(子産・曾子の逸話など)を根拠に七点にわたり批判し、栄辱は葬に由らず人事によることを説いた。
- 太常丞・太子司更大夫を歴任し麟德中に没した。
子 方毅
- 子の方毅は七歳で経を暗誦し太宗に称された。右衛鎧曹参軍となり、母の喪に殉じるように没した。