新唐書卷一百七 列傳第三十二 傅弈
排仏論
- 相州鄴の人。隋の漢王諒に仕えたが、諒の反乱の兆しを星占いで問われ穏当に答えて連座を免れた。
- 高祖に仕え太史丞。庾儉との確執の中、隋の官名・律令をそのまま踏襲する風潮を批判し、「革(あらた)むるの時大なるかな」と改正朔・易服色・変律令・革官名を上疏した。
- 武徳七(624年)年、仏教を厳しく排撃する上疏を提出。西域の教えは君臣父子の道を欠き、仏を口実に君権を侵すものだと論じ、梁武帝・北斉の例を挙げて害を説いた。中書令蕭瑀と朝廷で激論、太宗即位後も排仏の立場を貫いた。
- 貞觀十三(639年)年、85歳で没。子に『六経』の学を守り仏法を退けるよう遺言し、裸葬を望んだ。『老子』注や仏教論駁を集めた『高識篇』を著した。