新唐書卷一百六 列傳第三十一 劉德威
刑罰の要諦
- 徐州彭城の人。隋末の動乱を経て李密に帰し、後に唐に降り左武候将軍。劉武周討伐や洛陽平定に功があり彭城県公・刑部侍郎を歴任。
- 大理卿として太宗の下問に「刑の寛猛は君主の好みによる。失入は軽く失出は重く罰されるため、吏は深文(厳罰)に走る」と答え、太宗はこれを是とした。禮部尚書・幽州都督・諡襄を贈られた。
子 審禮
- 子の審禮は祖母への孝行で知られ、儀鳳三(678年)年、李敬玄の吐蕃討伐で先鋒を務め戦死。工部尚書・諡僖を贈られた。
子 延景
- 審禮の子延景は陝州刺史に至り、睿宗初に尚書右僕射を追贈された。
子 易従
- 審禮の子易従は酷吏周興に誣告され死罪となったが、百姓が「長史の祈福のため」と衣を脱いで喜捨したという「孝義劉家」の逸話が残る。
子 昇
- 易従の子昇は嶺表に流された後、信愛によって免れ、後に姓を温と変え帰洛、中書舎人・太子右庶子に至った。
侄 延嗣
- 審禮の従弟延嗣は潤州司馬として徐敬業の攻撃を固守、敗れて捕らえられたが屈せず、後に汾州刺史に転じた。一族に刺史となった者20余人。