新唐書卷九十四 列傳第十九 薛萬均
薛世雄の子ら
- 薛萬均、燉煌の人。弟の薛萬徹と共に羅藝に厚遇され、竇建德の范陽侵攻を計略で撃退し、梁師都討伐・吐谷渾討伐・高昌討伐で武勇を発揮し潞国公。晩年、高昌女性との密通を訴えられ、清宮不謹の罪で下獄し憂憤のうちに卒した。
弟 萬徹
- 弟の薛萬徹はもと隱太子建成の宮兵を率いて玄武門で抗戦したが、太子の首を示されて降った。李靖・李勣に従い突厥・薛延陀討伐で戦功を挙げ丹陽公主に尚し駙馬都尉。太宗に「勝つか大敗するかのどちらか」と評される豪胆な武将であった。高麗遠征でも大行城を奇襲し功があったが、驕慢な言動が問題視され除籍・徙辺の処分を受けた。高宗永徽二年(651年)、房遺愛の謀反計画に加担したとして誅殺された。刑に臨み「大健児たる我を国のために死なせず、遺愛のために殺すとは」と嘆いたという。
弟 萬淑
- 弟の薛萬淑も戦功で右領軍将軍・梁郡公。
弟 萬備
- 弟の薛萬備は孝行で知られ、高麗遠征で契苾何力を単騎で救った功があり左衛将軍に至った。
附伝
盛彦師
- 盛彥師、宋州虞城の人。李密の反乱を熊耳山で伏兵により討ち取った功で葛国公。徐圓朗に捕らえられた際も節を曲げなかったが、高祖により無実の罪で誅された。
盧祖尚
- 盧祖尚、光州樂安の人。輔公祏討伐に功があり弋陽郡公。交州都督への赴任を固辞したため太宗の怒りを買い処刑されたが、後に名誉回復された。
劉世讓
- 劉世讓、字は元欽。薛舉に捕らえられながらも策を用いて秦王に情報を送り、獨孤懷恩の謀反も密告した功臣。北辺防備の策(馬邑攻略案)を献じ実行したが、突厥の反間策により無実の罪で誅殺され、後に冤罪と判明した。
劉蘭
- 劉蘭、字は文郁。梁師都討伐で功を挙げ夏州都督府長史となったが、讖言(「劉将軍が天下の主となる」)に関わる謀反の疑いで誅された。
李君羨
- 李君羨、洛州武安の人。武勇に優れ左武候中郎将。「五娘子」の小字を名乗った際、太白星の異変と「女主が興る」との予言に太宗が忌み嫌い、「武」の字を含む官職・封邑を持つことも重なって、後に妖言の罪で誅殺された。天授年間、武后によって名誉回復された。
【贊】
- 賛に曰く、侯君集は将相の位にありながら太子に私謁し、張亮は養子五百人を蓄え、薛萬徹は狂人と謀った。いずれも死に値する罪があり、咎めるまでもない。しかし太宗ほどの明徳をもってしても讖謡に惑わされ、李君羨を濫りに誅したことは、後の妖后(武后)に自らを神格化する口実を与える結果となった。実に哀しむべきことである。