晉書卷百二十一 載記第二十一 李期

即位から専横(334年ごろ)

  • 李期、字は世運。雄の第四子で聡明博学、若くして文才を示した。班殺害後、李越は期を擁立し(期は雄の妻任氏の養子とされた)、皇帝を称して改元(玉恆)、班の弟李都を誅殺した。李壽は李都の弟李玝を攻め、玝は晋に降った。
  • 李壽は漢王、李越は建甯王に封じられ要職を占めた。期は謀臣景騫・田褒ら側近を重用し、宦官許涪らにも実権を与え、綱紀は乱れた。武陵公李載を反逆の疑いで獄死させるなど粛清を行った。

廃位(337年)

  • 期の弟李霸・李保が相次いで急死し、期による毒殺の噂が広まり大臣たちは恐れた。期は安北将軍李攸(李壽の養弟)も毒殺し、李壽らを排除しようとしたが、逆に李壽が兵を率いて成都を制圧、期の側近(李越・景騫・田褒・姚華・許涪ら)を大逆罪として処刑させた。李壽は任氏の名を借りて期を邛都県公に廃し幽閉。期は「天下の主が小県の公になるくらいなら」と嘆き、咸康3年(337年)自ら首を吊って死んだ。享年25、在位3年。諡は幽公。雄の子はすべて李壽に殺害された。