晉書卷一百 列傳第七十 王如

出自と挙兵

  • 王如は京兆新豊の人。もと州の武吏で、乱に遭い流転して宛に至った。当時流人にはことごとく郷里へ帰る詔があったが、王如は関中が荒廃していたため帰ることを望まなかった。征南将軍山簡・南中郎将杜蕤はそれぞれ兵を遣わして送り出そうとし、期限を急かせた。王如は密かに無頼の少年たちを結び、夜襲で二軍を破った。杜蕤は全軍で王如を撃ったが涅陽の戦いで大敗した。山簡は防ぎきれず夏口へ移り、王如はさらに襄城を破った。
  • 南安の龐実、馮翊の厳嶷、長安侯の脱らがそれぞれ党を率いて諸城鎮を攻め、多くの県長を殺して王如に呼応し、間もなく衆は四、五万に達し、王如は自ら大将軍と号して司・雍二州牧を領した。

石勒との連携と侯脱誅殺

  • 王如は石勒の攻撃を恐れ厚く賄賂を贈って義兄弟の契りを結び、勒もその力を借りようとこれを受け入れた。当時侯脱は宛に拠り王如と不和であったため、王如は勒に「侯脱は名は漢臣を称するが実は漢賊だ。兄はこれに備えるべきだ」と説いた。勒はもとより脱が自分に二心を抱くのを怒っていたが、王如を頼みとして脱を攻めずにいた。この言を聞いて大いに喜び、夜のうちに三軍に飯を食わせ待機させ、鶏鳴とともに出発、遅れた者は斬るとして早朝宛の門に迫り、旬有二日にして陥落させ、脱を斬った。
  • 王如はそのまま沔漢一帯を大掠奪し、襄陽に迫った。征南将軍山簡は将の趙同に撃たせたが一年経っても勝てず、智力尽きて籠城守備に転じた。王澄は京都へ向けて軍を進めたが王如に迎撃され破られた。

衰亡と死

  • 王如は連年、種えた穀物がみな莠(雑草)に化すという不運が続き、軍中は大飢饉となり、その党は互いに攻め合った。官軍の討伐に諸勢力は相次いで降伏し、王如は策が尽きて王敦に帰した。
  • 敦の従弟王棱は王如の驍武を愛し、自分の麾下に配することを求めた。敦は「この輩は虓険で扱いにくく、お前の性格は短気で容れることができまい。むしろ禍のもとになる」と言ったが、棱がなお固く請うため与えた。棱は王如を側近に置き寵遇したが、王如は棱の諸将としばしば弓の腕を競ううちに争いを重ね、棱はついに容れずに杖罰を加え、王如はこれを深く恥じた。
  • 元来、王敦には不臣の兆しがあり、棱がたびたびこれを諫めていたため敦は常に棱を疎ましく思っていた。王如が棱に辱められたと聞くと、敦は密かに人を遣り王如を激怒させ棱殺害を勧めた。王如は棱を訪ね閑宴の折に剣舞を所望し、棱も承知して舞を見た。王如が刀を振るいながら次第に前へ迫り、棱は悪んで叱り止めさせようとしたが、王如はそのまま突き進み棱を殺害した。敦はこれを聞いて驚いた振りをし、同じく王如を捕らえて誅殺した。