步熊
- 歩熊、字は叔羆、陽平発幹の人。若くして卜筮の術を好み、門徒が大変多かった。熊の学舎の傍らで一人が焼死した際、役人は熊の弟子たちを捕らえ、失火の責任を問おうとした。熊は「既にあなたのために犯人を占い当てました。道の南から来て、火の原因を尋ねる者があれば、その者を縛りなさい」と言った。役人が言葉通りにすると、果たしてそれは耕作人であり、雑草が邪魔で耕しにくかったため火をつけたが、突然風が起こって遠くまで延焼し、実際にその中に人がいたとは知らなかったと自白した。
- また隣人の子が遠出して死んだと知らされ、両親は泣き喪服を着たが、熊がこれを占うと、期日を定めて帰ってくると告げ、その通り期日に子は帰ってきた。
- 趙王倫がその名を聞き召そうとした。熊は弟子たちに「倫はまもなく死ぬ、応じるには及ばない」と言った。倫は怒り、兵を遣わして彼を幾重にも包囲させた。熊は弟子に自分の皮衣を着せて南へ逃がし、倫の兵はみなそちらへ捕らえに向かった隙に、熊は密かに北から出て逃れることができた。
- 後に成都王穎に招かれ、穎は熊に射覆(隠した物を当てる術)をさせたが、外れることはなかった。後に穎が関中へ逃れると、平昌公模が鄴を鎮し、熊を穎の党とみなして誅殺した。