晉書卷九十四 列傳第六十四 孟陋

孟陋

  • 孟陋、字は少孤、武昌の人、呉の司空孟宗の曾孫である。兄の嘉は桓温の征西長史。陋は若くして節操を確立し、清らかな操行は並ぶ者がなかった。粗末な衣を着て質素な食事をとり、書物を友として自ら楽しんだ。世事を口にすることはなく、人と交わることもなく、時折釣りや狩りに独り出かけたが、家人でさえその行き先を知らなかった。
  • 母を亡くすと、悲しみのあまり体を損なうこと甚だしく、十余年間酒も肉も口にしなかった。親族は代わる代わる彼に言った。「少孤よ、誰に親がなかろうか、誰の親も永遠には生きられぬ。聖人が礼を定めたのは、賢者には控えさせ、不肖の者には及ばせるためだ。もし体を損なって後継ぎがいなくなれば、それもまた不孝となる」。陋はこの言葉に感じ入り、その後は普通の生活に戻った。これにより彼の名は天下に知られた。
  • 簡文帝が輔政していた頃、参軍に任じたが、病と称して応じなかった。桓温は自ら訪ねて行った。ある人が温に「孟陋は高潔な行いで儒学の宗と目される人物です、府に招いて政治の調和を助けさせるべきです」と言うと、温は「会稽王(司馬昱)でさえ彼を屈服させられなかった、私にそれを望むことなどできない」と嘆じた。陋はこれを聞いて「桓公はただ私が行かないだろうと考えているだけのことだ。億兆の人々の中で官のない者は十人に九人、みなが高士であろうか。私は病であるため丞相・会稽王の命に応えられないだけで、高尚を気取っているわけではない」と語った。これにより彼の名声はさらに高まった。
  • 博学で多くに通じ、特に『三礼』に長けた。『論語』に注をつけ、世に行われた。天寿を全うして没した。