董京
- 董京、字は威輦、出身地は不明である。当初、隴西の計吏とともに洛陽に至り、髪を振り乱して歩き、悠々と詩を吟じながら、常に白社(祠のある地)に宿った。市で食を乞い、得た端切れの布や綿を結んで身を覆ったが、上等な絹や良い綿は決して受け取らなかった。押しのけられ罵られることがあっても、怒りの色を見せることはなかった。
- 孫楚が当時著作郎であり、たびたび社を訪ねて語り、ついに車に乗せて連れ帰ろうとしたが、京は座ろうとしなかった。楚は彼に書を送り、今は堯舜の世であるのに、なぜ道を懐いて国に迷うのかと勧めた。京は詩で答えた。その趣旨は、周の道が廃れ頌の声が絶え、夏の政が衰え五常が乱れたことを嘆き、君子でさえこれを見て顧みて去っていくと述べ、天地の変化を楽しまないわけではないが、この時世を共にできないことを悲しみ、独り身を処すという。清流を飲み至道を食とすることができるのに、なぜあくせくと身を疲れさせる必要があろうか。魚が罠にかかり獣が檻に囚われるさまは、卑しい者でさえ理解できる(=功名を求めれば身を滅ぼす)。古の至人は才を霊妙のうちに秘め、粗末な着物でも寒さを凌ぎ、高位高官でも栄達とはしない。動けば川の流れのごとく、静まれば川の澱みのごとし。鸚鵡は言葉を話し、泗水の磬石は人々に愛でられるが、それは物の本性に合ったものだろうか。玄鳥は幕の中に巣を作るが害を受けず、隼は遠くに巣を作るがみな死を恐れるという。梁にかかる魚を眺めれば尾を翻して躊躇い、進退窮まって水を失う――ああ、魚や鳥はどこまでも悟ることがない、私にはその理由がわかる。もしや達人がいて、深く落ち着いた度量で私を窺い見て、眉をひそめて去っていくかもしれない。万物はみな卑しいが、人のみが貴い。動けば九州も狭しとし、静まれば四方の壁の中も広しとする、と詠んだ。
- 数年後、京は姿を消し、行方を知る者はなかった。彼が寝ていた場所には石の竹の飾り物と二篇の詩だけが残されていた。その一つは「天の道は剛健で簡明、地の体は篤実で緻密、茫々たる太初の姿、これを模範とし継承する。末世は浮薄に流れ、文が質に取って代わる。ぼんやりとした世間の目は、その実を誰が知ろうか。私はこの至虚の境地へ去り、自然の家へ帰ろう」というもの。もう一つは「孔子は時に遇えず、麒麟の出現に心を動かされた。麒麟よ麒麟よ、なぜ世を逃れて真を保とうとしないのか」というものであった。