晉書卷九十三 列傳第六十三 褚爽

褚爽

  • 褚爽、字は弘茂、幼名は斯生、恭思皇后(褚霊媛、恭帝の皇后)の父である。祖父は褚裒、父は褚歆。爽は若くして良い評判があり、謝安は彼を大変重んじ、かつて「もし期生(爽の別称)が優れていなければ、私はもう人物評をやめよう」と語った。義興太守となり、早くに没した。皇后の父として金紫光禄大夫を追贈された。爽の子の秀之・炎之・喩之は、義熙年間(405-419年)、いずれも高官を歴任した。

史論

  • 史臣曰く。羊琇は近しい親族の縁により、多くを知る便宜を得て、王朝興隆の機に巡り合い、創業の謀略に参与した。それゆえ深い恩顧を受け、しばしば重い任用にあずかった。しかし寵霊に頼って欲望のままに振る舞い、権勢を恃んで驕り高ぶり、たびたび法度を犯し国の綱紀を乱したが、幸い寛大な政治に恵まれ、刑罰を免れた。王愷は渭陽(外戚)の立場にあり、家は代々の禄を継いだが、恭倹の評判は聞かれず、ただ奢侈放縦に耽り、石季倫(石崇)と華美を競い、王武子(王済)と先を争った。これは清らかな議論を汚し、王道を損なうものであった。後に議によって諡号を与えられたとはいえ、悪を懲らしめ善を勧めるには十分でなかった。
  • 弘理(杜乂)は外見が朗らかで輝き、季野(褚裒)は精神が内に融和し、仲祖(王濛)は温潤で風流、幼道(何准)は清らかで欲少なく、いずれも江表(江南)に名を馳せ、当代に重んじられた。これは単に外戚の中の英才というだけでなく、士大夫の中でも名声の高い者たちであった。
  • 賛に曰く。丹掖(後宮)との縁に託し、紫宸(宮廷)の輝きを受け継いだ。その地位は権勢と寵愛を兼ね、その任は権柄を執ることにあった。慎み深ければ過ちは少なく、驕れば人を虐げる。覆った車の教訓は、まことに帯に記して戒めとするに値する。