鄒湛
- 鄒湛、字は潤甫、南陽新野の人。父の軌は魏の左将軍。湛は若くして才学で知られ、魏に仕えて通事郎・太学博士を歴任した。泰始初年、尚書郎・廷尉平・征南従事中郎に転じ、羊祜に深く重んじられた。太子中庶子に入った。太康年間、散騎常侍に任ぜられ、渤海太守に出て、太傅楊駿の長史に転じ、侍中に昇った。楊駿が誅殺されると、その属官であったことで免官となった。まもなく散騎常侍・国子祭酒として起用され、少府に転じた。元康末年に没した。詩と論事議25篇が当時重んじられた。
- 湛はかつて夢の中で「甄舒仲」と名乗る人物に何度も会った。長く経ってから「我が家の西に土と割れた瓦の積まれた場所がある。そこに必ず死者がいるはずだ。甄舒仲とは我が家の西の瓦の中にいる者のことだ」と悟った。調べると果たしてその通りであったため、手厚く葬った。葬儀の後、この人物が礼を言いに来る夢を見た。
- 子の鄒捷、字は太応、こちらも文才があった。永康年間、散騎侍郎となった。趙王司馬倫が簒奪した際、捷は陸機らとともに禅譲の文を起草した。倫が誅殺されると連座して廷尉に下されたが、恩赦により免れた。後に太傅参軍となった。永嘉末年に没した。