晉書卷九十二 列傳第六十二 成公綏

成公綏

  • 成公綏、字は子安、東郡白馬の人。幼くして聡明で、経伝に広く通じた。欲が少なく資産を営まず、家が貧しく凶年でも常に落ち着いていた。若くして俊才があり、詞賦は華麗であったが、静かに慎み、名声を求めなかった。
  • 当時、孝行を示すとされる烏(からす)が彼の家にしばしば集まったため、綏はこれを反哺の徳を持つ瑞鳥と考え、賦を作って讃えた(文は省略)。また「賦とは物の道理を広く述べ尽くすことに価値がある。天地の壮大さについて古来賦した者がいないのは、あまりに美しく文で表しがたいからか、そうでなければなぜ欠けているのか」と考え、『天地賦』を著した。この賦は、太古の混沌から陰陽・天地・日月星辰・四季の運行が生じるさまを描き、続いて天体の運行や瑞祥・凶兆の徴、さらに山川・四海・崑崙・扶桑などの地理を広く述べ、天地創造の神秘と偉大さを讃える壮大な内容であった。
  • 綏は音律を好み、あるとき夏の風に乗じて口笛を吹くと澄んだ調べとなったことから、『嘯賦』を著した。この賦は、栄達を捨て高尚を慕う士が友を集め、性命の機微・道徳の玄奥を究め、世俗に先んじて超然と悟り、長嘯(口笛)によって胸中を表す様を描き、その音が糸竹(楽器)の及ばぬ自然の至音であり、心を制し気を御することで発せられ、悲喜の情を自在に表現し、天地の和を通じ淫らな風俗をも正す力を持つと讃え、伝説の名手(緜駒・王豹・虞公・寧子・鐘期・孔子)や百獣・鳳凰までもがこれに感応するとした長嘯礼讃の作であった。
  • 張華は綏を深く重んじ、その文を見るたびに絶倫と感嘆し、太常に推薦して博士に召された。秘書郎から丞に転じ、中書郎に昇った。しばしば張華とともに詔を受けて詩賦を作り、また賈充らとともに法律の制定にも参与した。泰始9年(273年)、43歳で没した。詩賦・雑文十余巻が世に行われた。