范隆
- 范隆、字は玄嵩、雁門の人。父の范方は魏の雁門太守。隆は母の胎内に十五ヶ月いて、生まれた時には既に父は亡くなっていた。4歳でまた母を失い、その哀号の声は道行く人を感動させた。
- 天涯孤独で緦功の親族(近親)もいなかったが、遠縁の范広が哀れんで養育し、家に迎えて教育し、彼のために祠堂を建てた。隆は学を好み謹み深く、范広に父のように仕えた。経籍に博く通じ、あらゆる書を読み、『春秋三伝』の著作があり、『三礼吉凶宗紀』を撰し、条理が整っていた。
- 恵帝の時代、天下が乱れようとする中、隆は身を隠して州郡の召命に応じず、昼は農耕に励み、夜は書典を誦した。密かに暦学・陰陽の術を学び、并州に凶兆が現れることを予知し、それゆえいよいよ仕官しなかった。
- 上党の朱紀と親交があり、かつて共に山に遊んだとき、人里離れた谷間で一人の老人に出会った。老人は「二公はなぜここにいるのか」と言い、隆らが拝礼して顔を上げると既に姿は消えていた。
- 後に紀とともに劉元海に身を寄せ、元海は隆を大鴻臚、紀を太常に任じ、ともに公に封じた。隆は劉聡の代に没し、聡は太師を追贈した。