晉書卷九十一 列傳第六十一 劉兆

劉兆

  • 劉兆、字は延世、済南東平の人、漢の広川恵王の後裔である。博学で見聞広く、温厚篤実で人を導くのに長け、数千人の門人が学んだ。武帝の時代、公府より五度、博士として三度召されたが、いずれも応じなかった。
  • 貧に安んじ道を楽しみ、著述に専心し、数十年も家の門を出なかった。『春秋』には三伝(左氏・公羊・穀梁)があり解釈が分かれ、儒者たちの論争が絶えず互いに仇敵のようであったため、三家の異同を思案し、これを合わせ通じさせようとした。『周礼』に調人の官があることに倣い、『春秋調人』七万余言を著し、首尾を論じて大義に矛盾がないようにし、合わない箇所は長短を挙げて調和させた。
  • また『春秋左氏』の解説書『全綜』を著し、公羊・穀梁の解詁を経伝の中に組み込み、朱書で区別した。さらに『周易訓注』を撰し、正卦・動爻の二体を互いに通じさせて解釈した。著述はすべて百余万言に及んだ。
  • ある逸話として、靴を履き驢馬に乗った男が兆の門外に来て「劉延世に会いたい」と言った。兆は儒者としての徳望があり、青州で彼を字(延世)で呼ぶ者はいなかったため、門人たちは怒った。兆は「入れてやりなさい」と言った。男は入ると床几に座り、「あなたは大学者と聞くが、近頃何を著したか」と尋ねた。兆が上記の著述を答え、最後に「多くの疑問が残る」と言うと、客が問い、兆が疑問を述べ終えると客は「これは易しく解ける」と言い、議論して疑問点の是非を弁じてみせた。兆が別の新たな論点を立てると、客が一つ反駁しただけで兆は答えられなくなった。客が去り、既に門を出た後、兆は引き留めようとして人を遣り呼び戻させたが、客は「親族がここで葬儀を営んでいるので行かねばならない、後日また来よう」と言って去った。兆が人に葬儀の家を見に行かせたが、その客の姿はなく、ついに姓名も分からなかった。兆は66歳で没した。五人の子、卓・炤・耀・育・臍がいた。