晉書卷八十二 列傳第五十二 謝沈
後漢書と晉書
- 謝沈、字は行思、會稽山陰の人。曾祖の謝斐は呉の豫章太守。父の謝秀は呉の翼正都尉。謝沈は幼くして孤児となり母によく孝行し、博学多識で経史に精通していた。郡が主簿・功曹に任じ孝廉に挙げ、太尉郗鑒も辟召したがいずれも応じなかった。會稽内史何充が參軍に招いたが母の老いを理由に去職した。平西將軍庾亮が功曹に、征北將軍蔡謨が版で參軍に任じたが、いずれも応じず、閑居して母を養い人事に交わらず、耕作の合間に典籍を精読した。康帝即位の際、七廟の迭毀(順次の廟の入れ替え)について朝議が疑義を持ったため、太学博士として招かれ疑義を質した。母の喪により去職し、服喪を終えて尚書度支郎に除せられた。何充・庾冰はともに謝沈に史才があると称え著作郎に遷り『晉書』三十余巻を撰した。まもなく卒した、時に年五十二。謝沈は先に『後漢書』百巻および『毛詩』『漢書外傳』を著しており、これらの著述と詩賦文論もみな世に行われた。その才学は虞預を上回るという。