晉書卷八十二 列傳第五十二 鄧粲

隠逸と出仕

  • 鄧粲、長沙の人。若くして高潔で知られ、南陽の劉驎之、南郡の劉尚公と親交深く、いずれも州郡の辟召に応じなかった。荊州刺史桓沖が丁重な礼をもって別駕に招くと、鄧粲はその好賢を嘉して応じることにした。劉驎之・劉尚公は「あなたは道広く学深く皆から推されているのに突然節を改めるとは、まったく期待外れだ」と言うと、鄧粲は笑って「あなた方は隠遁に志ありといえるが隠遁の何たるかを知らない。隠遁の道は、朝廷でも市中でも隠れられる。隠れることは初めから自分の中にあるもので、外物にあるのではない」と答えた。劉尚公らは反論できなかったが、これにより鄧粲の名声は半減した。のち脚の病を患い朝拝できなくなり辞職を求めたが許されず、臥したまま政務を執らせられた。のち病が重くなり骸骨を乞い、許された。鄧粲は父の鄧騫に忠信の言があったが世に知られなかったことを惜しみ、『元明紀』十篇を著し、『老子』に注し、いずれも世に行われた。