晉書卷八十一 列傳第五十一 羊鑒

羊鑒

  • 羊鑒、字は景期、太山の人。父の羊濟は匈奴中郎將。兄の羊煒は太僕・兗徐二州刺史を歴任。羊鑒は東陽太守から太子左衛率に累進した。徐龕反乱の折、司徒王導は羊鑒が徐龕と同郷の名族であるため制することができると考え、北討を命じるよう請うた。羊鑒は自らの将才不足を固辞し、太尉郗鑒も不適任と上表したが、王導は聞き入れず強いて征討都督に任じ、果たして敗績した。王導は自らの人選の誤りを詫びて自貶を請うたが、帝は許さなかった。
  • 有司は羊鑒を斬刑と定めたが、元帝は羊鑒が太妃の外戚であることから特に死を免じ除名とした。しばらくして少府となる。王敦の乱では、明帝は羊鑒が王敦の甥で常に親しい間柄であったため軽く咎めた。成帝即位後、蘇峻討伐に功あり豐城縣侯に封じられ、光祿勳に転じて卒した。