晉書卷七十九 列傳第四十九 謝奕

軍事と治績

  • 会稽王友に遷り、給事黄門侍郎に補され、建武将軍・暦陽太守に出て督江夏義陽随三郡軍事・江夏相に転じ将軍号はそのまま。安西将軍庾翼が武昌に鎮していた頃、尚はたびたび翼を訪ね軍事を諮った。ともに弓を射た際、翼が「的を射抜けば鼓吹を賞として与えよう」と言うと尚は即座に命中させ、翼は自分の副鼓吹を与えた。尚は政に清簡で、赴任時に郡府が布40匹で烏布帳を作ったのを尚は壊して軍士の褚襦袴とした。
  • 建元2年、詔で「尚はかつて戎戍の要職にあったため黄散(文官)から軍旅に転じさせた、その地が険要なため威望を崇めるべき」として南中郎将とされた。庾冰が薨じると本号のまま督豫州四郡・領江州刺史となり、まもなく西中郎将・督揚州之六郡諸軍事・豫州刺史・仮節に転じ暦陽に鎮した。