清史紀事本末康熙帝の勤政(康熙勤政)
康熙帝が8歳で即位し鰲拜ら輔政大臣の専横を退けて親政を開始した後、聖諭十六条の頒布や科挙不正・収賄の摘発、頻発する地震・旱害への対応など、約61年間にわたる治世の内政のあゆみを描く。晩年の即位六十年祝賀の辞退から帝の崩御・雍正帝の即位までを含む。
年表(29件)
- 順治十八年1661年聖祖8歳で即位、鰲拜ら四大臣が輔政し十三衙門を廃止する
- 康熙二年1663年郷会試を一時八股文から策論表判に改める
- 康熙三年1664年輔臣鰲拜が政敵飛揚古を無実の罪で処刑する
- 康熙五年1666年鰲拜が蘇納海・朱昌祚・王登聯を偽の勅命で絞殺する
- 康熙六年1667年帝が親政を開始するが鰲拜は蘇克薩哈も無実の罪で処刑する
- 康熙八年1669年索額図の計略により鰲拜が捕縛され獄に下される
- 康熙九年1670年内三院を内閣に改める
- 康熙十一年1672年聖諭十六条を頒布する
- 康熙十二年1673年楊起隆が朱三太子を詐称して蜂起を企てるが露見し処刑される
- 康熙十四年1675年信郡王鄂札らがチャハル部の反乱を討伐・平定する
- 康熙十五年1676年大学士熊賜履が索額図の弾劾により罷免される
- 康熙十八年1679年京師で連続地震が起こり群臣に意見を求める
- 康熙十九年1680年大学士索額図が病により退任を願い出る
- 康熙二十年1681年遷界令を解いて沿海の海界を開放する
- 康熙二十二年1683年辺境提鎮官の入朝規定を整備し藩鎮の専横を戒める
- 康熙二十三年1684年東巡し曲阜で孔子廟に謁す(以後南巡六度に及ぶ)
- 康熙二十五年1686年民間の蔵書・秘録の献上を求め蘇州・福建で淫祠を破却する
- 康熙二十七年1688年大学士明珠らが背公営私の罪で罷免される
- 康熙二十八年1689年高士奇・王鴻緒・陳元龍らが党派を組んだ罪で罷免される
- 康熙二十九年1690年『大清会典』が完成する
- 康熙三十四年1695年山西平陽で大地震が起こり帝が自省の詔を出す
- 康熙三十八年1699年順天郷試の不正を巡り正副考官の李蟠・姜宸英が投獄される
- 康熙四十五年1706年江寧知府陳鵬年が総督阿山の讒言から李光地らの弁護で救われる
- 康熙四十八年1709年編修熊本が熊賜履の遺疏をめぐり疑獄で処刑される
- 康熙五十一年1712年江南総督噶礼の科挙不正を巡る大獄で帝が張伯行を清廉と認める
- 康熙五十四年1715年太原府知府趙鳳詔が巨額の収賄で処刑される
- 康熙五十七年1718年明の宗室を詐称し白蓮教と結んだ袁進らを処刑する
- 康熙五十九年1720年即位六十年の祝賀を辺境の軍務・災害を理由に自ら辞退する
- 康熙六十一年1722年千叟宴を催した後、帝が崩御し四子胤禛(雍正帝)が即位する
順治十八年(1661年)
- 聖祖(康熙帝)8歳で即位、索尼・蘇克薩哈・遏必隆・鰲拜が輔政。十三衙門を廃止し、巡按の派遣停止、官吏の久任制、山東の房屋税や各省田賦の免除など善政を布く。
- 蘇州の秀才倪用賓ら18名が、先帝の遺詔到着時に文廟に集い哭訴した件を「聚衆謀乱」とされ処刑される。
康熙二年(1663年)
- 郷会試を一時八股文から策論表判に改める(のち旧に復す)。満洲・モンゴル・漢軍の翻訳郷試を再開。福建・広西で起きた土豪の反乱を討平。
康熙三年(1664年)
- 会試の副榜を廃止。輔臣鰲拜が政敵の内大臣飛揚古を無実の罪で処刑。旱害への配慮から囚人への苛酷な取り調べを禁止。江南で地震、彗星・金星の異変が相次ぐ。
康熙四年(1665年)
- 水西の蛮酋安坤の乱を呉三桂が討伏。雲南の王耀祖の反乱も呉三桂が平定。溧陽で伝説の玉璽が発見され朝廷に献上される。
康熙五年(1666年)
- 雲南の禄昌賢の乱を呉三桂が平定。鰲拜が政敵の蘇納海・朱昌祚・王登聯を偽の勅命で絞殺(旗地の圏換問題をめぐる専横)。
康熙六年(1667年)
- 呉三桂が烏撒の女酋隴氏を討つ。帝が親政を開始。鰲拜が蘇克薩哈にも無実の大罪を着せ処刑・族滅。
康熙七年(1668年)
- 天文占候に通じた人材を求める。科道官の欠員補充制度を整備。訴えの直訴制度(登聞鼓)を整理。山東で大地震。財政不正を働いた漕運総督呉惟華を処罰。旱害・地震を受け刑獄の清理を命じる。星変を理由に辺外への出遊を取りやめる(熊賜履・趙之中の諫言を容れる)。
康熙八年(1669年)
- 日食。帝が太学に行幸。鰲拜、専横のため索額図の計略により捕縛され獄に下される(少年たちの武術「布庫戯」を利用した奇策)。旱害により刑獄の清理を命じる。
康熙九年(1670年)
- 黄河が決壊。内三院を内閣に改める。孝陵参拝。八旗官学生から選抜し天文学を学ばせる。内閣大学士の職名を整理。
康熙十年(1671年)
- 各衙門の通事を廃止。淮揚の飢民救済のため漕糧・倉米を截留(現物支給を主張する帝の言が記される)。御史趙璟が外官の薄給を訴え加増を建議。降調人員の私的保留を禁止。盛京謁陵。
康熙十一年(1672年)
- 旧大学士衛周祚を召還し入閣させる。聖諭十六条を頒布。
康熙十二年(1673年)
- 楊起隆が朱三太子を詐称して蜂起を企てるが露見、逃走するも一党は処刑される。
康熙十三年(1674年)
- 京師で地震。
康熙十四年(1675年)
- 信郡王鄂札を撫遠大将軍に任じ、大学士図海を副将としてチャハル部の反乱を討伐、平定。
康熙十五年(1676年)
- 日食。江南青浦に隕石落下(重さ十九斤)。大学士熊賜履が索額図の弾劾により罷免。
康熙十六年(1677年)
- 正月に雷鳴(異常気象として記載)。帝が辺外で狩猟。
康熙十八年(1679年)
- 京師で連続地震、群臣に意見を求める。憲臣魏象枢が輔臣の党派専権を天変の原因として直諫。
康熙十九年(1680年)
- 大学士索額図が病により退任を願う。彗星が相次いで出現。楊起隆が処刑される。
康熙二十年(1681年)
- 通州運河の浚渫を命じる。遷界令を解いて沿海の海界を開放(姚啓聖らの上奏による)。山西の飢民に帑銀二十万両を賑済。地震・日食。畿甸巡幸を毎年の恒例とする。
康熙二十一年(1682年)
- 邪教の指導者と目された朱方旦らを処刑。烏喇での狩猟に対し憲臣の諫言があるも決行。
康熙二十二年(1683年)
- 五台山に行幸(帝一代で五度に及ぶ)。辺境提鎮官の入朝規定を整備(藩鎮の専横を戒める帝の言が記される)。避暑のため古北口へ出行するのが恒例となる。
康熙二十三年(1684年)
- 東巡し、泰山に登り、江蘇・南京を経て曲阜で孔子廟に謁す(以後南巡六度に及ぶ)。直隷・河南で飢饉。
康熙二十四年(1685年)
- 『賦役全書』完成。淮揚で飢饉。日食・月食。
康熙二十五年(1686年)
- 武官の丁憂(服喪離任)を文官同様とする。民間の蔵書・秘録の献上を求める(思想統制の意図も指摘される)。蘇州・福建で淫祠を破却。黒龍江に蔡毓榮を流刑(呉三桂旧臣を匿った罪)。
康熙二十七年(1688年)
- 琉球の子弟が入学。大学士明珠らが背公営私の罪で罷免される。日食。武昌で兵変が起こるも鎮圧。
康熙二十八年(1689年)
- 高士奇・王鴻緒・陳元龍らが党派を組んだ罪で罷免。徐乾学の不正を弾劾した許三禮が誣告の罪で逆に降格。
康熙二十九年(1690年)
- 『大清会典』完成。大学士徐元文らが清廉な地方官を推薦。日食。
康熙三十年(1691年)
- 日食。
康熙三十一年(1692年)
- 日食(欽天監の占が帝に叱責される)。
康熙三十二年(1693年)
- 米価高騰により順天・永平・保定・河間諸府の造酒を厳禁。
康熙三十三年(1694年)
- 李光地が母の喪に服さず職務を続けたことが弾劾され、解任・守制を命じられる。
康熙三十四年(1695年)
- 山西平陽で大地震、多数の死者。帝が自省の詔を出す。長雨により群臣に意見を求める。
康熙三十五年(1696年)
- 京師地震、東南沿海で颶風・高潮の被害。
康熙三十六年(1697年)
- 日食、京師地震。
康熙三十七年(1698年)
- 京師地震、江南沿海で大風・洪水。山海関の謁陵。
康熙三十八年(1699年)
- 順天郷試の不正を巡り正副考官の李蟠・姜宸英が投獄される(姜宸英は獄死、冤罪との評判が高かった)。
康熙三十九年(1700年)
- 貴州省城で地震。
康熙四十年(1701年)
- 連南・連山の傜人の乱を討平。
康熙四十一年(1702年)
- 東南で海嘯。火星が南斗に入る(天文異変として記録)。
康熙四十二年(1703年)
- 湖南鎮簞の紅苗の乱を討平。帝が太原を巡幸。
康熙四十三年(1704年)
- 直隷巡撫李光地が報災の怠慢を弾劾され職を落とされるが留任。日食。
康熙四十四年(1705年)
- 京師地震。
康熙四十五年(1706年)
- 京師地震。江寧知府陳鵬年が総督阿山の讒言により厳しく処罰されかけるが、大学士李光地らの弁護で救われる(南巡の際の賦役増徴反対が発端)。日食。各省に育嬰堂の設置を命じる。
康熙四十六年(1707年)
- 雲南で永暦帝の子孫を称して挙兵した李天極・王枝葉らを討伐・処刑。貴州で苗人の乱を討平。
康熙四十八年(1709年)
- 編修熊本が、亡き熊賜履の遺疏に自らを推薦する語があったことを疑われ処刑される(疑獄との説あり)。
康熙四十九年(1710年)
- 虹が出現。南方で大水。福建提督藍理が匪賊対応の報告を偽って粉飾したとして職を落とされる。
康熙五十一年(1712年)
- 江南総督噶礼の科挙不正(趙晋との関節)を巡撫張伯行と互いに弾劾しあう大獄となるが、帝は張伯行を清廉と認め噶礼を罷免。藍理も収賄の罪で財産没収の上、辛くも死罪を免れる。
康熙五十三年(1714年)
- 旱害により群臣に意見を求める。獄囚の待遇改善を命じる。
康熙五十四年(1715年)
- 江蘇巡撫張伯行が誣告の疑いで職を落とされるも後に要職に復帰。東南で暴風。太原府知府趙鳳詔(大臣趙申喬の子)が巨額の収賄で処刑される。
康熙五十五年(1716年)
- 民間の土地売買における税制を定める。旱害。
康熙五十六年(1717年)
- 各省の天主教布教の禁止を厳格化。
康熙五十七年(1718年)
- 明の宗室を詐称し白蓮教と結んで謀反を図った袁進(朱復業)らを処刑。長江で異常な蟻の大群が発生。陝西で地震。誠王府の使者を詐称し詐欺を働いた孟光祖を処刑、これを見逃した地方官も処罰。
康熙五十八年(1719年)
- 日食。飢饉救済のため漕米を截留し諸府へ配分。
康熙五十九年(1720年)
- 即位六十年の祝賀を辺境の軍務・災害多発を理由に自ら辞退(帝の詔が記される)。軍器の海外輸出を禁止。
康熙六十年(1721年)
- 会試副考官李紱が下第挙子の騒動を理由に処罰される。各地で飢饉、河川決壊。台湾で風災。
康熙六十一年(1722年)
- 満漢の高齢文武官を招き「千叟宴」を催す。福建の防兵の兵変で将軍黄秉鉞が処罰される。武備を怠らぬことの重要性を説く帝の言が記される。帝崩御(69歳)。四子胤禛(雍正帝)が即位、廟号聖祖、景陵に葬られる。