清史紀事本末清初の法制・兵制・官制(開國法制、兵制及官制)
満洲(後金)建国期の万暦十五年から順治十八年に至るまで、法制・兵制(八旗の創設)・官制(六部・内三院・都察院・理藩院等)が段階的に整備され、清朝の統治機構が明制を取り入れつつ確立していく過程を描く。約74年間の制度史。
年表(25件)
- 明神宗
- 萬曆十五年1587年満洲(後金)が初めて国政を定め盗賊取締の法制を整える
- 萬曆四十三年1615年理政聴訟大臣・札爾固斉を置き兵制を定め八旗を確立する
- 萬曆四十六年1618年練兵の法を頒布し攻城戦の統制を厳格化する
- 萬曆四十八年1620年八旗の官制を改定しモンゴル・漢軍の八旗を新設する
- 熹宗
- 天啟六年1626年皇太極が即位し八旗の総管大臣・佐管大臣を置く
- 思宗
- 崇禎二年1629年モンゴル軍の編制を定め文館を設立し翻訳・記録を担わせる
- 崇禎四年1631年六部を設立し貝勒に統括させ承政・参政を置く
- 崇禎五年1632年賭博を禁じ城守官の三年考課の制を定める
- 崇禎九年1636年文館を内三院に改組し都察院を設置する
- 崇禎十年1637年貝子ハンに国政を議させ各旗に議政大臣を復置する
- 崇禎十一年1638年理藩院を設けモンゴル諸部の事務を専管させる
- 清世祖
- 順治元年1644年帝が北京入城・即位し明制を参考に文武官制を定める
- 順治二年1645年足の腱を切る刑や耳鼻を貫く刑を廃止する
- 順治三年1646年府の別駐推官や小県の主簿を廃止する
- 順治四年1647年四川総督を新設する
- 順治五年1648年六部の漢人尚書と都察院の漢人都御史を各一名置く
- 順治八年1651年満漢官員の処罰を革職の勅命を経て刑部審理とする定めとする
- 順治九年1652年都察院御史を増減し宗人府を新設する
- 順治十年1653年御史を二十名に定め宦官の官位を四品までに制限する
- 順治十一年1654年太師・太傅・太保等を文武大臣の加銜とする例を定める
- 順治十三年1656年満漢の詞臣を日講官とし収賄十両以上を厳罰とする
- 順治十五年1658年直隷総督を廃し殿閣大学士を設置、内三院の名称を廃止する
- 順治十六年1659年内閣の官制を整理し進士は庶吉士以外推官・知県任用とする
- 順治十七年1660年士子の結社を禁止し八旗の漢字官名を定める
- 順治十八年1661年内閣を再び内三院に戻し各省に総督一名を設置する
明神宗萬曆十五年(1587年)
- 満洲(後金)が初めて国政を定め、悖乱を禁じ盗賊を取り締まる法制を整える。
萬曆四十三年(1615年)
- 理政聴訟大臣五人と札爾固斉(モンゴル語で理事官の意)十人を置き、訴訟は札爾固斉の審理を経て五大臣が再審し、さらに諸貝勒が合議する慎重な審理体制を定める。
- 兵制を定める。かつて甲十三副で図倫城を攻略した頃の族党単位の出兵制度を改め、三百人を一牛录(ニル)とし、五牛录を一甲喇(ジャラ)、五甲喇を一固山(グサ)とする組織を確立。四色(黄・紅・藍・白)の旗に鑲(縁取り)を加えた四旗を増設し、合わせて八旗とする。
萬曆四十六年(1618年)
- 練兵の法を頒布。牛录ごとに雲梯や攻城具を備え、隊列を離れる者を処罰し、軍令違反は死罪とするなど攻城戦の統制を厳格化。先登の功は個人の抜け駆けでなく整った隊列の突入をもって認めるとした。
萬曆四十八年(1620年)
- 八旗の官制を改定、総兵官以下を等級化し、モンゴル・漢軍の八旗を新設。
- 訴えを受け付ける「納言の木」を門外に設置。
熹宗天啟六年(1626年)
- 皇太極が即位し、諸貝勒と官制を議定。八旗ごとに総管大臣(固山額真)・佐管大臣(梅勒額真)を置き、さらに調遣大臣を新設して出征・駐防の職を分担させる(後の駐防副都統・前鋒統領・護軍統領の前身)。
思宗崇禎二年(1629年)
- モンゴル軍の編制例を定める。文館を設立し、漢籍の翻訳と朝政記録を担わせる。行軍の賞罰規定を定める。
崇禎四年(1631年)
- 出征軍の規定を定める。六部を設立、各部を貝勒が統括し、満洲・モンゴル・漢の承政・参政を置く。
崇禎五年(1632年)
- 賭博を禁じ、城守官の三年考課の制を定める。
崇禎九年(1636年)
- 文館を内三院(内国史院・内秘書院・内弘文院)に改組し、大学士・学士を配置。都察院を設置。
崇禎十年(1637年)
- 貝子ハンに国政を議させ、各旗に議政大臣五名を復置。
崇禎十一年(1638年)
- 理藩院を設けモンゴル諸部の事務を専管させる。部院の官制を改定し、各衙門に満洲承政一名を筆頭とする体制に整理。
清世祖順治元年(1644年)
- 帝が北京入城・即位、内外の文武官制を明制を参考に定め、満漢併用とする。八旗の都統・副都統以下の任用手続きを整備し、京城内に満洲・蒙古・漢軍の八旗を配置。驍騎営・親軍・前鋒営・護軍営などの諸営や、各地の駐防将軍・都統・緑営(督標・撫標・提標・鎮標・協標・河標・漕標)を設ける。
順治二年(1645年)
- 足の腱を切る刑や耳鼻を貫く刑を廃止。御史を十五名増員。
順治三年(1646年)
- 府に置かれた別駐の推官や小県の主簿を廃止。
順治四年(1647年)
- 四川総督を新設。
順治五年(1648年)
- 六部の漢人尚書と都察院の漢人都御史を各一名置く。戸部各司に漢人主事を増員。
順治八年(1651年)
- 在京の満漢官員の処罰は必ず革職の勅命を経て刑部が審理する定めとする。翰林院官を内三院に分属させる。
順治九年(1652年)
- 都察院御史を四十名増員後、二十名を削減。宗人府を新設。
順治十年(1653年)
- 御史を二十名に定める。宦官の官位を四品までに制限。
順治十一年(1654年)
- 太師・太傅・太保等の官職を文武大臣の加銜として用いる例を定める。
順治十三年(1656年)
- 満漢の詞臣八名を日講官とする。官員の収賄十両以上は厳罰、財産没収と定める。守催銭糧官を撤廃、三年一度の大閲を制度化、審理・処刑の期限を定める。
順治十五年(1658年)
- 直隷総督を廃し巡撫一名を置く。殿閣大学士を設置し内三院の名称を廃止、御史を増員。中和殿・保和殿・文華殿・武英殿・文淵閣・東閣の大学士を設置。宮中女官の品級・員数を定める。
順治十六年(1659年)
- 内閣の官制を整理し学士・侍読学士などの員数を再編。誣告の禁を厳格化。進士は庶吉士以外は推官・知県任用とする。
順治十七年(1660年)
- 士子の結社を禁止。八旗の漢字官名(都統・副都統・参領・佐領・総管等)を定める。巡按御史の派遣を一時停止後、再び設置。
順治十八年(1661年)
- 各省巡按の派遣を停止。内閣を再び内三院に戻す。進士の観政の例を廃止。各省に総督一名を設置。直隷・山西・山東・河南・雲南に提督を増置。順天巡撫を廃止し保定巡撫に統合。営の千総・把総の品級を定める。