清史演義第七十四回 僧親王、計に中り軀を喪う/曾大帥、謀を設け敵を制す (僧親王中計喪軀  曾大帥設謀制敵)

洪福瑱の逃亡と黄文金の最期

  • 洪福瑱は広徳から湖州へ逃れ、太平軍の黄文金に迎えられたが、左宗棠・李鴻章配下の諸軍が湖州を包囲攻撃し、黄文金は戦いながら福瑱を連れて敗走。負傷の末、途上で嘔血して死んだ。

洪福瑱の捕縛

  • 弟の黄文英が福瑱を守って江西へ入るが、席宝田の軍に追い詰められ、黄文英・洪仁玕・洪仁政らとともに捕らえられた。福瑱自身も牧童の証言から山中で発見・捕縛され、南昌で処刑されて太平天国の血統は絶えた。

太平軍残党の終焉

  • 汪海洋・李世賢は福建・広東へ転戦するが、内紛から海洋が世賢を刺殺するなど自滅的な争いを重ね、最終的に諸軍の攻撃で海洋は戦死、残党も嘉応州・黄沙嶂で殲滅され、太平軍はほぼ根絶やしとなった。

苗沛霖の乱と僧格林沁

  • 捻軍鎮圧のため僧格林沁が起用され、雉河集を攻略して捻酋張洛行を討った。反乱を起こした苗沛霖も部下に殺され、僧格林沁は捕虜への残虐な処刑を好むなど酷薄な一面を見せた。

張総愚追撃と僧格林沁の戦死

  • 捻軍の張総愚は僧格林沁の追撃をかわし続け、山間の伏兵戦術で清の名将を次々と討ち取った。同治四年、曹州で樵夫に化けた捻兵の道案内により誘い込まれ、僧格林沁は捻軍に包囲されて奮戦の末、討ち死にした。総兵陳国瑞が屍を収めて帰還し、朝廷は手厚く弔った。

曾国藩の督師と防河囲捻策

  • 僧格林沁の戦死を受け、曾国藩が欽差大臣として捻軍討伐を命じられた。国藩は徐州に本営を置き、臨淮・済寧・周家口・徐州の四鎮に兵を配して持久策を取った。
  • 朝廷から西方への出兵を促された李鴻章は、淮軍の地縁・餉源・武器補給の三点から西進は困難と長文で上奏し、東南の防備堅持を主張した。
  • 捻軍は各地を転戦し続け、官軍を疲弊させる中、曾国藩は「防河囲捻」の策を練り始めた。

評語

捻軍は盗賊の類で城地を奪う志もなく知略も洪楊に劣るが、その神出鬼没ぶりはかえって平定を難しくした。僧格林沁は勇に優れるも謀に欠け、ついに張総愚らに敗れて曹南に斃れた。一方、曾国藩・李鴻章の上奏には二十年の戦歴を踏まえた慎重さが表れており、軽率を戒め慎重を勧める好例と言える。