清史演義第七十三回 浙東に戦い包団練芸に死す/江寧を克し洪天王宗を覆す (戰浙東包團練死藝 克江甯洪天王覆宗)
左宗棠の浙江平定
- 左宗棠は衢州で李世賢を破り、金華の長毛は不戦のまま撤退した。原因は諸曁の団練頭目・包立身の抵抗の激しさにあった。
包村の攻防と陥落
- 包立身は奇門遁甲や兵法に通じたとされる異能の人物で、村を要塞化して長毛の猛攻を何度も退けていた。蘇松兵備道の使者馮仰山が招致に訪れるが、包は村人を見捨てられず去就に迷う。
- 長毛は婦女を盾に使い呪術で対抗するなど激しく攻め立て、包立身は突囲を決意するも、村人が引き止めて出発が遅れた隙に長毛が村へ突入。村は焼かれ、包立身の消息も絶えた。
杭州の奪還と『聞見篇』
- 蔣益澧軍の到着で長毛は潰走し、諸曁・上虞・台州・紹興が回復。左宗棠は閩浙総督に任じられ、蔣益澧・徳克碑(フランス人)らが杭州を包囲攻略し、守将陳炳文は夜陰に乗じて脱出、杭州は回復した。
- (詩:戦乱下の民の惨状を詠んだ『聞見篇』四首――豚と引き換えに嫁を売る話、家屋を薪として売る老人、飢えた子に草を煮て食べさせる母、船で姑を養う船頭女の悲話を通じ、長毛の乱による庶民の苦難を嘆く内容)
石達開の末路
- 石達開は江西・湖南・広西を転戦した末に四川へ入り、大渡河で豪雨のため渡河できず清軍に包囲された。妻子は溺死し、自身は捕らえられて成都で処刑された。取り調べでは曾国藩を高く評価する言葉を残した。
江寧の包囲と要衝の攻略
- 江寧では洪秀全が諸将を次々と王に封じたが統制が乱れ、曾国荃は雨花台を奪い、九洑洲では楊岳斌(楊載福改名)・彭玉麟の水師が火攻めで長毛の船団を全滅させた。
- 続いて鍾山の天保城、龍膊子山の地保城を攻略し、江寧城は完全に包囲された。李鴻章は功を譲って国荃に協力する形をとった。
洪秀全の死と江寧陥落
- 城内は食糧が尽き、代用食「甘露療饑丸」まで作られる惨状となった。同治三年五月、洪秀全は服毒自殺し、幼主洪福瑱が擁立された。
- 六月、地道による城壁爆破で清軍が突入し、激戦の末に江寧は陥落。李秀成は捕らえられ、洪秀全の遺骸も発見されたが、幼主福瑱は落城の混乱に紛れて脱出した。
論功行賞
- 朝廷は上諭を発し、曾国藩に太子太保・一等侯爵、曾国荃に太子少保・一等伯爵、李臣典・蕭孚泗ら諸将にもそれぞれ爵位を与えて労を賞した。
- 曾国藩は洪秀全の遺骸を掘り出させて焼き、洪仁発・李秀成らを処刑した。福瑱の行方は不明のままとされたが、実際は広徳を経て湖州へ逃れていた。
評語
包立身が一村の団勇で数十万の賊に抗した気概は自ら誇るに足るが、正をもって邪に勝つべきところを異術に頼ったことが敗因である。長毛が包村のような小事に固執して大局を見失ったのも愚かしい。江寧陥落で十数万の長毛が殺戮されたのは過酷に過ぎるとはいえ、その頑迷さが自ら死地を招いたとも言える。