清史演義第六十九回 外釁を開き律を失い師を喪う/和約を締び款を償い地を割く (開外釁失律喪師  締和約償款割地)

曾国藩の両江総督就任と祁門布陣

  • 肅順の推挙で曾国藩が両江総督に任じられ、安慶包囲を維持しつつ徽州祁門県に本営を構える。左宗棠も四品京堂に抜擢され幕僚に加わる。
  • 李秀成らが安徽へ進軍し寧国が陥落、李世賢が徽州府城を落として祁門に迫るが、鮑超・張運蘭の来援で辛くも支えた。折しも北京勤王の急使が届き、物語は北方情勢へ転じる。

大沽での英仏艦隊撃退(第二次)

  • 天津条約の批准のため来航した英艦隊は、大沽での上陸を拒み北塘への迂回を命じられるが、英艦長ト魯士(ホープ)が強行突破を図り、僧格林沁の砲台に撃退される。

第二次大沽攻防と英仏軍の北京進撃

  • 咸豐十年、英仏艦隊は再度北上し、漢奸の手引きで北塘の地雷を除去して上陸、僧格林沁の騎兵は近代火器の前に壊滅的損害を受け、大沽砲台も陥落した。
  • 僧格林沁は通州へ退き、朝廷は和議派(端華・肅順)と主戦派の間で揺れる。

通州談判の決裂と巴夏礼の捕縛

  • 怡親王載垣が通州で英仏使節と交渉するが、参賛巴夏礼(パークス)が皇帝への直接謁見と軍礼での入京千人随行を要求して決裂。
  • 僧格林沁が独断で巴夏礼を捕縛したことで英軍が激怒し、北京への進撃を開始する。

咸豐帝の熱河行幸と北京陥落

  • 咸豐帝は后妃を伴い熱河へ避難(北狩)し、恭親王奕訢を京城に残して全権とする。守備兵は瓦解し、英仏軍は北京に迫った。

円明園の焼失

  • 恭親王は捕虜となっていた巴夏礼らを解放するが、獄中で英人数名が死亡していたことが発覚し、英側は報復として円明園への放火を決行。竜孝拱(襲半倫)が略奪・放火を先導したことが語られる。円明園は三日三晩燃え続け灰燼に帰した。

北京条約の締結

  • 恭親王は賠償金支払いと引き換えに英仏との和議を成立させ、天津条約に加え賠償金増額・天津開港・領事駐在などを内容とする北京条約を締結。
  • ロシア公使イグナチェフも仲介の労を評して烏蘇里江以東の地を割譲させる北京条約(露)を結んだ。

評語

  • 内乱と外患が同時に迫る中、朝廷が戦と和の間で定見を欠いたまま後手に回り、賠償と割地を重ねていった経緯を批判し、早期に方針を定めるべきであったと総括する。