清史演義第六十六回 智ある統領、奇を出し勝を制す/愚なる制軍、敵を軽んじ擒えらる (智統領出奇制勝  愚制軍輕敵遭擒)

吉安・臨江方面の戦況と王鑫の急死

  • 湖北巡撫胡林翼は李続賓を瑞州へ、湖南巡撫駱秉章は江忠義・王鑫を臨江へ派遣した。吉安では諸将の不和もあり戦況が停滞し、王鑫は自らの不振に懊悩して発病、石達開来襲の報に驚愕して急死した。
  • 曾国荃が到着すると軍心が定まり、石達開は戦わずに退いていった。

石鍾山攻略と九江・湖水師の合流

  • 楊載福・彭玉麟は九江の悍将林啓栄を攻めあぐね、江湖の要衝・石鍾山を攻略する策を立て、李続賓の陸軍と内湖水師を密かに連携させた。
  • 激戦の末、李続賓が背後の山に放った火が決定打となり、湘軍は太平軍の戦艦・大砲多数を鹵獲し、外江と内湖の水師を合流させることに成功した。

彭沢・小孤山の攻略

  • 楊載福は彭沢城を計略で攻め、偽って囲みの一部を開けて頼漢英を城外へ誘い出し、その隙に城を奪取。頼漢英は変装して辛くも脱出した。
  • 彭玉麟も同日、小孤山を攻略した。

鎮江・瓜洲の奪還

  • 和春・張国梁は江寧属県を攻略しつつ鎮江に迫り、張国梁は吉爾杭阿の旧策に倣って糧道を断ち、太平軍を連敗させたのち諸将と合力して鎮江城を陥落させた。
  • 徳興阿もほぼ同時に瓜洲を攻略し、太平軍を殲滅した。

広東をめぐる英国との緊張(アロー号事件)

  • 広東総督葉名琛は英国の入城要求を無視し続け、按察使沈棣輝の会党鎮圧の功も黙殺するなど独善的な統治を行った。
  • 「アロー号」の中国人船員拘束事件を発端に、英国領事巴夏礼(パークス)は開戦の口実を得て、艦隊で広州を攻撃した。

葉名琛の無為と広州陥落

  • 葉名琛は呂祖(道教の神)への信心にすがって全く実務的な対応を取らず、英仏軍の砲撃・入城要求にも「気にすることはない」と取り合わなかった。
  • 城壁が破られ、英仏軍が入城。巡撫柏貴らが交渉に奔走する中、葉名琛はついに捕らえられて拘束され、後任に柏貴が据えられた。

那拉氏(後の西太后)の懐妊の挿話

  • 名琛が柏貴らと歓談する中、咸豐帝の側室・懿嬪(那拉氏)が皇子載淳を出産し懿妃に昇進したことが触れられる。

葉名琛の幽閉死と英仏の北上決定

  • 葉名琛は英国に連行されて香港、さらにインドへ移送され、鎮海楼に幽閉されたまま病没。「海上蘇武」と自称し詩を詠んで過ごしたが、遺骸は広東へ送還された。
  • 英仏はさらに北へ艦隊を進める方針を固め、ロシアもこれに加わった。

評語

  • 楊載福らの度重なる勝利は個人の力だけでなく、上下一致した協力によるものであり、智将のもとには衆知が集まると評す。
  • 葉名琛の頑迷・遷延は広東のみならず中国全体を誤らせ、後世まで禍根を残したとし、愚将のもとには衆愚が集まると対比して結ぶ。