清史演義第一十八回 新儀を創り太后聯婚す/宿怨に報い中宮位を易う (創新儀太后聯婚 報宿怨中宮易位)
大同攻略と要人の相次ぐ死
- 済爾哈朗・譚泰は大同で姜瓖と対峙する博洛・尼堪を援護すべく、多爾袞・阿済格自ら出陣する。豫王多鐸の病篤しとの報を受け多爾袞は帰京、まもなく多鐸は死去。
- 続いて粛親王豪格も獄中で死去。多爾袞は豪格の福晋(妻)に殮葬を許す。
- 孝端皇太后(順治帝の嫡母)も崩御し、以後は吉特太后が宮中の実権を完全に掌握する。
大同の平定
- 阿済格が再び大同へ出陣。城内が食糧尽きたところで守将楊振威が姜瓖を刺殺し開城降伏。阿済格は入城後厳しい処罰を行い、城壁を削り、朝命により楊振威も処刑される。
摂政王元妃の死と後継問題
- 多爾袞は元妃としばしば不和で、元妃は憂憤のうちに病死。多爾袞は喪に服させるが、内心は粛親王福晋(豪格の未亡人)との再婚を望んでいた。
「皇父摂政王」の成立
- 太后は多爾袞を密かに宮中に招き、密談する。翌日、范文程・剛林・金之俊らに諮り、「皇父摂政王と皇太后の合宮同居」を求める奏議を作成させる。
- 順治六年冬、正式に「皇父摂政王」として太后との婚礼(いわゆる太后下嫁)を行う旨の上諭が発せられ、大赦・恩賞が行われる。
- 翌年、多爾袞はさらに豪格の福晋(粛王福晋)を側福晋として娶る。
多爾袞の朝鮮公主獲得
- 朝鮮国王李淏が倭寇対策の築城許可を求める使者を送ってきたのを機に、多爾袞は密かに何洛会を通じて朝鮮に二人の公主(崇徳年間に見初めていた幼女)を求婚の交換条件として要求。
- 出獵と称して山海関外へ赴き、連山駅で朝鮮の二公主を迎え、婚礼を行う。太后には秘密にされた。
多爾袞の急死
- 多爾袞は朝鮮の二公主を伴いしばしば出猟するが、次第に体調を崩し喀血の症状が出る。喀喇城での狩猟中に病状が悪化し、「誤你誤你(お前たちを誤らせた)」と言い残して死去。
死後の追罪と豪格の名誉回復
- 訃報に順治帝は服喪。睿親王の爵位は長子多爾博が継承。
- 多爾袞生前に恨みを抱いていた諸王大臣が、彼の専横や朝鮮公主密納の事実を太后に密告。太后も態度を翻し、多爾袞の旧部下(何洛会ら)を処刑。
- 順治帝も内心の恨みから、鄭親王済爾哈朗らの弾劾を認め、多爾袞の生前の罪状(帝服の私製、豪格を死に追いやったこと、姪婦を娶ったことなど)を列挙し、封典をすべて追奪する上諭を発する。
- 豪格の冤罪は雪がれ、その子富寿は顕親王に封じられる。剛林・祁充裕は処刑され、范文程は革職留任にとどまる。
順治帝の立后と廃后
- 順治帝は睿親王生前に定められた許婚(科爾沁の吳克善の娘、博爾済錦氏)との婚礼をしぶるが、太后の命でやむなく挙行。盛大な儀式を経て皇后として迎えられる。
- しかし順治帝は睿親王が定めた縁組であることを内心嫌い、二年後に皇后を静妃に降格・別居させる。大臣らの諫言も聞き入れず、科爾沁の別の女性を新たな皇后に立てる。旧皇后は幽閉の末に死去。
評語
本回は多爾袞の事跡を中心に描く。粛王福晋を娶ったことと朝鮮の二女を娶ったことは『東華録』にも明記されており、著者の捏造ではない。母后下嫁(太后が摂政王に嫁いだこと)についても乾隆帝以前の記録に見えていたが、のちに紀昀によって削除されたと伝えられる。張蒼水の詩に「太后の婚礼」を暗示する句があることからも、事実である可能性が高い。多爾袞の好色乱倫は明白であるが、死後に諸王が「逆謀を隠し持っていた」と弾劾したのは、権力を握った際にいくらでも簒奪の機会があったにもかかわらずそうしなかったことを思えば、やや根拠薄弱であり、讒言による疑いが強い。順治帝が私怨から皇后博爾済錦氏を廃したことも、君主としては適切さを欠く行いであった。