清史演義第一十三回 闖王西走し合浦珠還る/清帝東来し神京に鼎を定む (闖王西走合浦還珠 清帝東來神京定鼎)
呉三桂、一族の死を悼み北京に進撃
呉三桂は城壁から投げ落とされた父母妻子の首級を目の当たりにし悲嘆に暮れるが、駆けつけた多爾袞に慰められ、清兵とともに都城を攻める。李自成は宮殿・城楼を焼き払い、明太子を連れて西へ逃走する。三桂と清軍は北京に入城し、三桂は自邸に戻るが、圓圓の姿は見つからない。三桂は李自成を追撃して敗走させるが、范文程の意見により追撃は中止され都に戻る。
陳圓圓との再会
数日後、圓圓から三桂への手紙が届く。李自成が圓圓を留めていたのは、圓圓が三桂の追撃を止めるために取り計らったためだったという。三桂は圓圓を呼び戻し、再会を果たす。圓圓は自ら死んで潔白を示そうとするが、三桂はこれを引き止め、二人は再会を喜び合う。三桂はやがて父吳襄の喪を行い、多爾袞から王に封じられ弔問は祝賀に変わる。
清の北京統治と江南への対応
多爾袞は范文程・洪承疇の献策により「除暴救民」の告示と崇禎帝の改葬を行い、民心を懐柔する。武英殿で百官を召見し、両宮(皇太后・幼帝)の北京入りを準備する。江南では福王朱由崧が南京で監国し、史可法が兵部尚書として淮揚を守っていることが報告される。多爾袞は洪承疇に命じ、史可法へ降伏を勧める書を送らせる。
順治帝の北京入城と清朝の定都
順治帝と両皇太后が北京に到着し、盛大な儀式で迎えられる。十月朔、順治帝は南郊で天地・社稷を祭り、武英殿で皇帝位に即く。国号「大清」、都を燕京、年号「順治」と定める詔が発せられる。多爾袞は叔父摂政王に加封され、済爾哈朗は名目上の格上げながら実質降格される。豪格は爵位を復されるが、多爾袞はこれを快く思わない。
陝西への進軍と江南の使者
清は阿済格を靖遠大将軍、多鐸を定国大将軍として陝西・李自成討伐に向かわせる一方、江南からは左懋第・陳洪範・馬紹愉らが犒師の使者として訪れ、史可法の返書を携えてくる。多爾袞はこれを読んで驚嘆する。
評語
順治帝の入関を多爾袞の功とする通説に対し、実は呉三桂が愛妾陳圓圓のために清に援軍を求めたことが発端であり、圓圓こそが国運を左右した張本人だと論じる。妹喜・妲己・褒姒に類する存在として圓圓を位置づけつつ、多爾袞の中原経略もまた孝荘太后の激励によるものであるとし、功罪はいずれも婦人の力に帰すると結ぶ。