清史演義第一十二回 愛姫を失い外族に援を乞う/流賊を追い双親の死を忍ぶ (失愛姬乞援外族  追流賊忍死雙親)

呉三桂の苦悩と降伏の決意

平西伯呉三桂は寧遠から山海関に入るが、崇禎帝の自尽と一家が李自成に捕らわれたことを知る。李自成が遣わした唐通が父吳襄の書状を携え降伏を勧め、三桂は父の助命のためやむなく帰順を決意し、山海関を明け渡して北京へ向かう。

陳圓圓拉致の報と逆襲の決意

途中、家人から「愛妾陳圓圓が李自成の後宮に奪われた」と聞き、三桂は激しく動揺し降伏を撤回する。

陳圓圓の来歴

陳圓圓はもと太原の名妓で、藩府田畹に千金で買われた後、三桂と縁があり、田畹の宴席で再会。三桂は圓圓を強く望み、田畹から譲り受けて娶った。三桂が出征する際、圓圓を家に残していたが、その圓圓が李自成に奪われたことを知り、三桂は憤激する。

呉三桂、清に援軍を乞う

三桂は山海関に取って返し、崇禎帝の喪を発して李自成打倒を誓う。李自成が大軍を発して迎撃してくると聞き、三桂は「明の天下を闖賊に渡すより清に渡すほうがまし」と考え、清の摂政王多爾袞に援軍を求める書を送る。多爾袞は范文程・洪承疇の助言を容れ、三桂を招降しつつ状況を見て加勢することとし、返書を送る。

山海関の戦いと清軍の参戦

李自成軍が山海関に迫り、三桂は苦戦するが、そこへ清の多鐸・阿済格の先鋒が到着。三桂は多爾袞の陣に赴いて降を請い、援軍を得る。多爾袞は三桂・洪承疇・祖大壽らと会見し、翌日、三桂を先鋒として李自成軍と激突。激戦の最中に強風が起こり視界が閉ざされる中、清の主力が投入され、李自成軍は総崩れとなり敗走した。

北京攻略と三桂の家族の惨劇

多爾袞は関内の軍民に薙髪を命じ、三桂を先鋒に北京へ進撃させる。李自成は各地で敗れながら北京へ逃げ帰り、和議を求めるが三桂は拒絶して猛攻を続ける。追い詰められた李自成側は、城壁上から三桂の父母・妻子ら一族の首を次々に投げ落として脅すが、三桂は「父母の恩は知るが賊とは両立できぬ」と拒絶し続け、結局一族は皆殺しにされた。

評語

「慟哭三軍皆縞素、衝冠一怒為紅顔」の詩を引き、呉三桂の行動の本質は愛妾のためであったとし、清軍の入関に際し何の約束もなく臣従して薙髪先導を買って出て、李自成の怒りを招き父母妻子を殺させた三桂の行いを「不忠不孝」と厳しく断じる。