清史演義天壇を祭り七大恨を告げる/遼陽に戦い庸将全軍覆る(第 三 回 祭天壇雄主告七恨 戰遼陽庸帥覆全軍)

和議と満洲国建国

  • 敗れた納林布祿は数十里逃れて態勢を立て直し、和議を申し入れた。葉赫の姪女を努爾哈赤の子・代善に、布塞の遺女を努爾哈赤自身の妃に差し出すことで一旦和睦が成った。
  • 努爾哈赤は哈達・輝発・烏拉を相次いで攻略し勢力を広げたが、葉赫が婚約していた姪女を蒙古へ嫁がせるなど背信を重ねたため、遂に明への従属を離れ、天命元年(万暦四十四年)自ら満洲国の皇帝として即位、以後「満洲太祖」と呼ばれる。
  • 太祖には多くの子がおり、第八子皇太極が聡明で太子に立てられた。ほかに多爾袞・多鐸も驍勇で知られ、のちの入関に大功を立てる。太祖は八旗制を整備し、天命三年、明への七大恨を掲げて挙兵を決した。

撫順攻略と薩爾滸の戦い

  • 太祖は天壇で祭天の礼を行い、「明が理由なく辺境で祖父を害したこと」など七つの恨みを列挙した祝文を読み上げ、明への進撃を開始した。
  • 途上、明の秀才・范文程が投じてきて太祖に仕え、文書を起草して撫順の守将李永芳に降伏を勧めた。李永芳は戦わず開城降伏し、太祖は范文程を重用した。
  • 明の広寧総兵張承蔭らは撫順奪還に向かうが、満洲軍の奇襲と多鐸の伏兵により総兵以下の諸将が悉く戦死した。
  • 明廷は驚愕し、楊鎬を遼東経略に任じて反撃を図る。楊鎬は葉赫・朝鮮の援軍を合わせた二十万余(号して四十七万)の兵を四路に分け、赫図阿拉への総攻撃を企てた。
  • 山海関総兵杜松は薩爾滸で満洲軍主力と激突し、太祖の子代善らの挟撃を受けて全滅、杜松自身も戦死。開原総兵馬林も山上からの奇襲で潰走。遼東総兵李如柏は満洲軍のわずかな囮に驚いて自壊し、多数の死者を出した。
  • 遼陽総兵劉鋌は勇猛で知られたが、満洲軍が奪った明軍の旗を掲げて偽装した部隊に欺かれ、味方と誤認したところを斬られて戦死した。四路の明軍はことごとく壊滅した。

評語

  • 太祖の七恨は誇張を含むとしても、明が理由なく挑発した咎も免れないとする。楊鎬という凡将に二十万の大軍を委ねたことが明の自滅を招いたのであり、明の滅亡と満洲の興隆はこの一戦に淵源すると評し、それゆえ本回は特に詳しく叙述したと結ぶ。