清史演義自序(自 序)
著者の弁
- 革命の後、清朝を私的に非難する史書が乱立し、宮中の秘事まで暴き立てて誹謗する風潮がある。清朝に本当に失政がなければ永く続いたはずで、そうでなければ武昌の一挙で瓦解しなかっただろう。しかし今の史書のように讒言を並べるなら、その罪は秦の始皇帝や隋の煬帝を上回ることになるが、秦や隋は数年で滅んだのに対し、清は二百数十年も続いた。これは矛盾している。
- 司馬遷が『史記』を著したときの高い見識は後世に及ぶ者がなく、それでも「謗史」と誹られた。是非善悪を論じず政教典故を無視して、卑俗な逸話ばかりを並べたものを史筆と称するのはおかしい。そうした書は考証に値するものがあっても、勧善懲悪の効はなく、むしろ姦淫を助長するだけだ。
- 著者は自らに史才はないとしつつ、市中に流布する私家の雑録に納得できず、正す志を抱きながら筆を執れずにいた。ところが時勢が急変し帝政復活の動きが起こり、清朝を美化して再び君主制へ戻そうとする者まで現れた。
- 稗官小説も史の傍流であり、平易で分かりやすいため世に広く読まれる。良い小説を得ることは良い史書に劣らない働きをすると考え、筆を執った。天命元年から宣統退位までの二百九十七年間の事跡から重要なものを選び、通俗演義として編んだ。巨事は事実に忠実に、瑣事も真実を求め、特に帝王専制の弊害には繰り返し注意を促した。全四冊百回、五六十万言に及ぶ。正史を気取るものではなく、一般社会への教養の一助となればとの願いである。稿が完成すると会文堂が急いで印刷に付したため十分な推敲ができなかったが、これは後日再版の際に改めたい。読者には粗略を責めないでいただきたい。
中華民国五年七月 古越 蔡東帆 臨江書舎にて自ら記す