新五代史卷五十六 雜傳第四十四 薛融

清廉で謙虚な諫臣

  • 薛融、汾州平遥の人。若くして儒学で名を知られ、唐の明宗の時、右補闕直弘文館となった。晋の高祖が太原を鎮した際、融は観察判官であった。高祖が鄆に移り太原に拠って命に背こうとした際、賓佐を集めて可否を問うと賛成する者と恐れて発言しない者があったが、融独り従容として「融はもと儒生に過ぎず、軍旅の事は学んだことがない、進退存亡の理を軽々しく論じられようか」と答え、高祖もこれを責めなかった。
  • 高祖の即位後、吏部郎中兼侍御史知雑事を拝し左諫議大夫に累拝、中書舎人に遷ろうとした際「文辞は私の得意とするところではない」と辞退した。当時洛陽の大内修築が詔されると融は上疏して切諌し、高祖はその言葉を認め工事を罷める詔を出した。御史中丞に遷り尚書右丞に改め洛陽に分司し卒した。年六十。