新五代史卷四十三 雜傳第三十一 孫德昭

昭宗復位のクーデター

  • 鹽州五原の人。父惟最は黄巢討伐・朱玫の乱で功を上げ鄜州節度使、京師宿衛。子の德昭は父の任で神策軍指揮使。光化3年、劉季述が昭宗を廃し東宮に幽閉すると、宰相崔胤が復位を謀り、德昭は孫承誨・董從實とともに応じ、胤と血判の盟約を結んだ。天復元年正月朔、季述の入朝を待ち伏せ甲士で輿を襲って斬殺、承誨らが残党を掃討。昭宗は騒ぎに驚いたが、德昭が「季述を誅した、皇帝は復位すべき」と告げると何皇后は「逆賊の首を差し出せ」と応じ、德昭が首を投げ入れて忠誠を示した。
  • 昭宗は丹鳳楼に出て復位を宣言し、德昭は靜海軍節度使・李姓と「扶傾済難忠烈功臣」の号を賜り、承誨らとともに凌煙閣に肖像を描かれ「三使相」と称された。崔胤が梁の力で宦官誅滅を図る一方、宦官は李茂貞を頼み梁岐が対立。韓全誨が昭宗を鳳翔へ連れ去った際、德昭は独り梁に付き崔胤と百官を護って東街を守った。梁太祖はこれを徳とし太師の礼で厚遇し、鳳翔包囲では8千の兵を太祖に属させた。
  • のち洛陽で左威衛上将軍、太祖即位後は烏銀帯・袍笏・名馬を賜り左衛大将軍、末帝の代に左金吾大将軍で没した。承誨・從實は鳳翔で宦官とともに殺された。