新五代史卷四十二 雜傳第三十 王瓉
重盈の子
- 重盈の諸子の一人。梁太祖が珂を捕らえ自ら河中節度使を兼ねると瓉を吏として用い、諸衛大将軍・泰寧鎮国軍節度使を経て末帝の代に開封尹。貞明5年、賀瓌に代わり北面行営招討使として晋と澶州で1年以上対陣し百余戦したが功なく、戴思逺に交代し再び開封尹。荘宗が鄆州から京師に迫った際、末帝は瓉に「私がこの地を保てるかは卿の働き次第」と言ったが、瓉は唐兵が封丘門に迫ると開門して降伏、荘宗は「君臣の道は各々の主に仕えるだけのこと、罪はない」と許し開封尹・宣武軍節度使とした。その後、旧梁臣の趙巖・張漢傑らが相次いで誅殺されると憂いのうちに卒し太子太師を追贈された。