新五代史卷四十二 雜傳第三十 王珂

河中をめぐる争い

  • 河中の人。仲父王重榮が黄巢討伐の功で河中節度使となり、子のなかった重榮は兄重簡の子珂を養子とした。重榮没後、弟重盈が継いだが重盈没後、軍中は珂を立てた。重盈の実子である陝州節度使珙・絳州刺史瑶が「珂は元は王氏の下僕で忠兒という小字を持つ卑しい身、後継の資格なし」と梁に訴えて争ったが、珂は晋の支援で昭宗の追認を得た。珙・瑶は王行瑜・韓建・李茂貞と結んで京師に迫り宰相李磎らを殺害したが、晋がこれを討伐し瑶を斬った。
  • その後、珙は部将李璠に殺され、崔胤が梁を招いて京師の混乱に乗じ、梁太祖は珂の脅威を恐れ張存敬・侯言に「珂を縛って連れて来い」と命じ河中を包囲。珂は妻を通じ晋に「賊はこの通り、朝夕梁に降伏を乞う有様、なぜ救わないのか」と訴えたが、晋王は「衆寡敵せず、救えば晋もろとも滅ぶ、いっそ朝廷に自ら帰順せよ」と応じず、茂貞にも援を求めたが返答なし。
  • 牙将劉訓の進言で「夜に一族で脱出すれば争って舟を奪い合い破滅する、明朝に情理を説けば軍の半分はなお従うはず」と説得され、珂は梁太祖に「梁王とは重榮以来の縁がある」と呼びかけて交渉、太祖は先に重榮の墓に哭してから入城し珂を厚遇するふりをして汴州に移し、のち洛陽への上京途中、華州で殺害させた。