新五代史卷三十三 死事傳第二十一 姚洪

董璋への抵抗と死

  • 姚洪はもとより梁の小校であった。董璋が梁の将となってより、洪はかつて璋に仕え、後に唐に仕えて指揮使となった。長興中、洪を遣わし千人を率いて閬州を戍させた。董璋が反すると人を遣わし書をもって洪を招いたが、洪は璋の書を得るとすぐさま厠に投げ捨てた。後に璋の兵が閬州を攻め破り洪を捕らえると、璋は「お前は健児であり私はお前を厚遇したのに、なぜ私に背いたのか」と言った。洪は罵って「老賊、お前は昔李七郎の奴として馬糞を掃き、一片の残った炙り肉を得ても恩に感じ続けたであろうに、今、天子はお前を用いて節度使としたのに、なぜ苦しんで反するのか。私は国家のために死ぬことができるが、人の奴となって生きることはできぬ」と言った。璋は怒り鑊(大釜)を前に置き、壮士十人にその肉を切り取らせて食わせたが、洪は死に至るまで大いに罵り続けた。明宗はこれを聞いて涙を流し、その二子を録用し家族を厚く憐れんだ。