新五代史卷三十 漢臣傳第十八 後贊
寵臣としての専横と最期
- 後贊は兖州瑕丘の人で、その母は倡(芸妓)であった。贊は幼くして謳(歌謡)に巧みで、張延朗に仕え、延朗が死ぬと漢の高祖に仕えた。高祖はこれを愛し牙将とし、即位後は飛竜使を拝した。隠帝は特にこれを寵愛した。楊邠らが執政すると贊は久しく昇進できず、ともに邠らを殺す謀をした。邠らが死ぬと隠帝はこれを後悔した。贊は郭允明らとともに交代で帝の側に侍り、左右が自分の短所を言うのを望まなかった。隠帝が北郊で兵に敗れると、贊は兖州に奔ったが、慕容彦超に捕らえられ京師に送られ、市に梟首された。