新五代史卷三十 漢臣傳第十八 李業

外戚の専横と最期

  • 李業は高祖皇后の弟である。后の兄弟七人のうち業は幼く、特に憐れまれていた。高祖の時、武徳使とし、隠帝の即位後、業は皇太后の縁でますます権を用い、憚るところがなかった。当時天下は旱蝗にみまわれ、黄河は決壊し、京師では大風が木を抜き城門を壊し、宮中でしばしば怪物が現れ瓦石を投げ門扉を揺すった。隠帝は司天の趙延乂を召し禳除の法を問うたが、延乂は「臣の職は天象と日時を司り、その変動を察して順逆吉凶を考えるだけです、禳除の事は臣の知るところではありません、しかし臣の聞くところではおそらく山魈でしょう」と答えた。皇太后は尼を召して仏書を誦させこれを禳させたが、一人の尼が厠に行き還ってから悲泣し人事不省となること数日、目覚めても訊ねてもその理由が分からなかった。
  • 帝はまさに業や聶文進・後贊・郭允明らと狎昵し、しばしば隠語で互いに戯れ、宮中で紙鳶を飛ばしていた。太后がしばしば災異をもって帝を戒めたが帝は聞かなかった。当時宣徽使が欠員となり業がこれを得ようとし、太后も人を遣わして大臣にそれとなく諷したが、大臣の楊邠・史弘肇らはみな不可とした。業はこれによって怨望し邠らの殺害を謀った。邠らがすでに死ぬと、また供奉官孟業を遣わして詔書をもって郭威を魏州で殺そうとしたが、威は兵を挙げて反した。隠帝は左神武統軍袁㠖・侍衛馬軍都指揮使閻晋卿らに兵を率いて澶淵で威を拒がせようとしたが、兵が出る前に威はすでに滑州に至っていた。隠帝は大いに恐れ大臣に「昨日はいささか草々であった」と言うと、業は府庫を開いて軍に賜うことを請うたが、宰相蘇禹珪は不可とした。業は帝の前で禹珪を拝して「相公は官家(帝)のために府庫を惜しまないでください」と言い、詔して京師の兵および威に従わなかった魏兵の子弟に人ごとに銭一万を賜り、その子弟に書を作らせ北兵の来ることを告げさせた。
  • 漢の兵が北郊で敗れると、業は内庫の金宝を取り懐に入れて兄の保義軍節度使洪信のもとに奔ったが、洪信はこれを拒んで受け入れず、業は絳州まで走ったが人に殺された。