新五代史卷二十一 梁臣傳第九 符道昭

生涯

  • 符道昭、蔡州の人。秦宗権の騎将であったが、宗権の敗後流落して依るところがなくなり、後に鳳翔の李茂貞に依り、茂貞に愛されて子とされ継遠と名づけられた。梁が茂貞を攻めた際、道昭は梁兵と戦いしばしば敗れ、そこで梁に帰した。太祖は道昭を秦州節度使に表したが乱により赴任は果たされなかった。太祖が元帥となり初めて府を開いた際、李周彜が鄜州を挙げて降り左司馬とされたが、右司馬に選ぶ者に困り、道昭を得てこれに任じた。羅紹威が牙兵を誅そうとしたが魏兵が強大なのを恐れてまだ動かず梁に助けを求めたため、太祖は魏兵を悉く発して燕を攻めさせ、馬嗣勲を遣わして紹威の牙兵誅殺を助けた。牙兵がすでに誅されると外にいた魏兵はこれを聞いて皆乱れ、魏将左行遷は厯亭に、史仁遇は高唐に拠って叛いた。道昭らは太祖に従いこれをことごとく破った。道昭は将として敵に立ち向かうことに勇であったが計略に乏しく、戦のたびに先んじて出て多く敗れたが、周彜らが続けて勝ちを得ることが多かった。開平元年(907年)、康懐英らと潞州を攻め、蚰蜒塹をめぐらす夾城を築いて包囲したが年を越えても下せず、晋兵が夾城を破ると道昭は戦死した。