生涯
- 張存敬、譙郡の人。人となり剛直で胆勇あり、若くして梁太祖に仕えて将となり、危窘の中で奇計を出すことに長けた。李罕之と晋人が張全義を河陽で攻めた際、太祖は存敬を丁会らと共に遣わして救わせ、罕之は囲みを解いて去った。太祖は存敬を諸軍都虞候とした。太祖が徐兗を攻めた際、存敬を行営都指揮使とし、葛従周に従い滄州を攻めて劉仁恭を老鵶堤で破り、続けて王鎔を鎮州に攻めてその城中に入り馬牛万計を取り、宋州刺史に遷った。再び諸将に従い幽州を攻め、存敬はその瀛・莫・祁・景四州を取った。梁が定州を攻め王処直と懐徳駅で戦い、これを大破して枕屍十余里に及んだ。梁がすでに鎮定を下すと、存敬を遣わして王珂を河中に攻めさせた。存敬は含山から出て晋・絳二州を下し、珂は梁に降った。太祖は存敬を護国軍留後に表し、再び宋州刺史に転じたが未着のうちに河中で卒し、太傅を追贈された。存敬の子は仁頴・仁愿。仁愿は孝行で知られ、存敬の卒後は兄仁頴に事え、出入りには必ず告げ、父に事えるがごとくであった。仁愿は法令に明るく、梁・唐・晋に仕え常に大理卿を務め、卒して秘書監を追贈された。