史記卷十六 秦楚之際月表

太史公の弁

  • 太史公は秦楚の際(秦滅亡から漢建国までの過渡期)の記録を読んで言う。最初に事を起こしたのは陳渉に発し、暴虐によって秦を滅ぼしたのは項氏から、乱を撥め暴を誅し天下を平定してついに帝位に就いたのは漢家において成った。わずか五年の間に号令(天下の主)が三度も変わった。人類が生まれて以来、これほど急速に天命を受けた例はいまだかつてない。
  • 昔、虞・夏の興るや、善を積み功を重ねること数十年、徳が百姓に行き渡り、政事を摂行してこれを天に考え、しかる後に位に就いた。湯・武の王たるや、契・后稷が仁を修め義を行うこと十余世、期せずして八百の諸侯が孟津に会したときもなお可とせず、その後にようやく桀・紂を放伐した。秦は襄公に起こり、文公・繆公の代に顕れ、献公・孝公の後に少しずつ六国を蚕食し、百有余年を経て始皇に至ってようやく冠帯の国々(中原諸国)を併せることができた。徳によったのはあのように長い年月、力によったのはこのように急であった。天下を一統することがいかに難しいかがわかる。
  • 秦はすでに帝を称すると、兵革が絶えぬのは諸侯の存在のためと考え、そこで一尺の土地も封ぜず、名城を破壊し、武器を溶かし、豪傑を鋤き去り、万世の安泰を図った。しかし王者の興る勢いは陋巷(庶民の巷)から起こり、合従して討伐するさまは三代をも凌いだ。秦の禁令に背いた者たちは、かえって賢者に天下を駆け廻る好機を与えたに過ぎない。ゆえに憤って立ち上がった者が天下の雄となったのであり、土地なくして王となれぬということがどこにあろうか。これこそ伝に言う「大聖」であろうか。天のなせる業でなくて何であろうか、天のなせる業でなくて何であろうか。大聖でなければ誰がこの受命を受けて帝となれようか。

月表(秦二世元年七月~漢五年後九月、前209年~前202年)

以下、秦滅亡前後の激動期を月ごとに記す。列は秦・楚・項(項羽・項梁)・趙・斉・漢(沛公・劉邦)・燕・魏・韓の順。各国の年数・月と、その月に起きた主な事跡を記す。空欄は原表に記載なし、「―」は該当国がまだ存在しない、または記載を欠く月。

二世元年(前209年)

七月 元年 楚隱王陳涉が挙兵し秦に攻め入る
八月 2 葛嬰が涉のため九江を徇え、襄彊を楚王に立てる 武臣が初めて邯鄲に至り自立して趙王となる、始 魏王咎が始まる、咎は陳におり帰国できず
九月 3(楚兵が戲に至る) 周文の兵が戲に至るが敗れる。葛嬰は涉が王を称したと聞き襄彊を殺す 項梁が武信君を号す 2 齊王田儋が始まる。儋は狄の人、諸田の宗が強い、従弟の榮・榮の弟橫 沛公が初めて挙兵 韓廣が趙のため地を略し薊に至り自立して燕王となる、始

二世二年(前208年)

十月 4(葛嬰を誅す) 2 3 2(儋の挙兵。狄令を殺し自ら王となる) 2(胡陵・方與を攻め秦の監軍を破る) 2 2
十一月 5(周文死す) 3 4(李良が武臣を殺し張耳・陳餘は逃れる) 3 3(泗水守を殺す。薛の西を抜く。周市が東の豐沛の間を略地) 3 3(斉・趙が共に周市を立てようとするが市は肯ぜず「必ず魏咎を立てよ」と言う)
十二月 6(陳涉死す) 4 4(雍齒が沛公に叛き豐を魏に降す。沛公は還り豐を攻めるが下せず) 4 4(咎が陳より帰り立つ)
端月(正月) 楚王景駒が始まる、秦嘉がこれを立てる 5(涉の将召平が矯って項梁を楚柱国に拝させ急ぎ西で秦を撃たせる) 趙王歇が始まる、張耳・陳餘がこれを立てる 5(景駒が擅に自ら王となり我に請わなかったことを責める) 5(沛公は景駒が留にいると聞き従いに行き秦軍を碭の西で撃つ) 5 5(章邯がすでに涉を破り咎を臨濟で囲む)
二月 2(嘉が上将軍となる) 6(梁が江を渡り陳嬰・黥布がみな属す) 2 6(景駒が公孫慶を使わし斉を責めるが斉は慶を誅す) 6(碭を攻め下し兵六千を得、故の兵と合わせ九千人となる) 6 6
三月 3 7 3 7 7(下邑を攻め抜き豐を撃つが豐は抜けず。項梁の兵が多いと聞き豐を撃つよう請う) 7 7
四月 4 8(梁が景駒・秦嘉を撃ち殺し薛に入る、兵十余万) 4 8 8(沛公が薛に行き項梁に見え、梁は沛公の卒に五千を益し豐を撃ち抜く。雍齒は魏へ出奔) 8 8(臨濟が急を告げ周市は斉・楚に救いを請う)
五月 9 5 9 9 9 9
六月 楚懷王が始まる、盱台に都す、故懷王の孫、梁がこれを立てる 10(梁が楚懷王の孫を求め民間に得てこれを楚王に立てる) 6 10(儋が臨濟を救うが章邯が田儋を殺す。榮は東阿へ逃れる) 10(沛公が薛に行き共に楚懷王を立てる) 10 10(咎が自殺し臨濟が秦に降る) 韓王成が始まる
七月 2(陳嬰が柱国となる) 11(天が大雨、三か月星が見えず) 7 齊が田假を王に立てる。秦が急ぎ東阿を囲む 11(沛公が項羽と共に北へ東阿を救い秦軍を濮陽で破り東の城陽を屠る) 11 咎の弟豹が東阿へ逃れる 2
八月 3 12(東阿を救い秦軍を破り勝ちに乗じて定陶に至る、項梁に驕りの色あり) 8 楚が榮を救い解いて帰り田假を逐い儋の子市を齊王に立てる、始 12(沛公が項羽と共に西へ地を略し三川守李由を雍丘で斬る) 12 3
九月 4(都を彭城に徙す) 13(章邯が定陶で項梁を破り殺す、項羽は恐れ軍を彭城に還す) 9 2(田假が楚へ逃げる。楚が斉に趙を救うよう促すが田榮は假の故を理由に拒み「楚が假を殺してこそ出兵する」と言い、項羽は田榮を怒る) 13(沛公は項梁の死を聞き軍を還し懷王に従い碭に軍す) 13 魏豹が自ら魏王となり平陽に都す、始 4
後九月 5(宋義を上将軍に拝す) 懷王が項羽を魯に封じ次将とし宋義に属させ北で趙を救わせる 10(秦軍が趙の歇を鉅鹿で囲み陳餘は出て兵を収める) 3 14(懷王が沛公を武安侯に封じ碭郡の兵を率い西へ、先に咸陽に至った者を王とする約をする) 14 2 5

三年(前207年)

十月 6 2 11(章邯が邯鄲を破りその民を河内に徙す) 4(斉将田都が榮に叛き項羽を助け趙を救いに行く) 15(東郡尉及び王離軍を成武の南で攻め破る) 15(将臧荼を使わし趙を救う) 3 6
十一月 7(籍を上将軍に拝す) 3(羽が矯って宋義を殺しその兵を率い河を渡り鉅鹿を救う) 12 5 16 16 4 7
十二月 8 4(秦軍を鉅鹿下で大破し諸侯の将はみな項羽に属す) 13(楚の救援が至り秦の囲みが解ける) 6(故齊王建の孫田安が濟北を下し項羽に従い趙を救う) 17(栗に至り皇訢・武蒲の軍を得る。秦軍と戦いこれを破る) 17 5(豹が趙を救う) 8
端月(正月) 9 5(秦将王離を虜にする) 14(張耳が陳餘を怒り将印を捨て去る) 7 18 18 6 9
二月 10 6(章邯を攻破し章邯軍は退く) 15 8 19(彭越の軍を昌邑に得て陳留を襲う。酈食其の策を用い軍が積粟を得る) 19 7 10
三月 11 7 16 9 20(開封を攻め秦将楊熊を破る、熊は滎陽へ逃れ秦がこれを斬って示す) 20 8 11
四月 12 8(楚が急ぎ章邯を攻め章邯は恐れ長史欣を秦へ帰し兵を請うが趙高がこれを責める) 17 10 21(潁陽を攻め韓の地を略し北で河津を絶つ) 21 9 12
五月 二年一月 9(趙高が欣を誅そうとし欣は恐れて亡命し章邯に秦への叛意を告げる) 11 22 22 10 13
六月 2 10(章邯が楚と約して降ろうとするが定まらぬうち、項羽はこれを許して撃つ) 19 12(南陽守齮を攻め陽城郭の東で破る) 23 23 11 14
七月 3 11(項羽が章邯と殷虚で会し章邯らはすでに降り盟いを結び章邯を雍王とする) 20 13 24(南陽を降し守齮を封ず) 24 24 12 15(申陽が河南を下し楚に降る)
八月(趙高が二世を殺す) 4 12(秦の降将都尉翳・長史欣を上将とし秦の降軍を率いさせる) 21(趙王歇が国に留まる。陳餘は逃れ南皮に居る) 14 25(武関を攻め破る) 25 13 16
九月(子嬰が王となる) 5 13 22 15 26(嶢及び藍田を攻め下す。留侯の策により戦わずして皆降す) 26 14 17

漢元年(前206年)

十月 6 14(項羽が諸侯の兵四十余万を率い地を略しつつ西へ、河南に至る) 23(張耳が楚に従い西へ秦に入る) 16 27。漢元年、秦王子嬰が降る。沛公が咸陽に入り破り秦を平らげ、軍を還し霸上に駐まり諸侯の約を待つ 27 15(項羽に従い地を略し関に入る) 18
十一月 7 15(羽が詐って秦の降卒二十万人を新安で坑殺する) 24 17 28(沛公が令三章を出し秦の民は大いに悦ぶ) 28 16 19
十二月 8(楚を分けて四国とする) 16(関中に至り秦王子嬰を誅し咸陽を屠り焼く。天下を分け諸侯を立てる) 25(趙を分け代国とする) 18(項羽が榮を怨み斉を分け三国とする) 29(項羽と隙があり戲下で会い講和する。羽は約に背き関中を四国に分ける) 29(臧荼が従って入り燕を二国に分ける) 17(魏を分け殷国とする) 20(韓を分け河南国とする)
正月 9。義帝元年、諸侯が懷王を尊び義帝とする 17。項籍が自立して西楚霸王となる。衡山・臨江・九江を分立 26。常山と改称。代を分立 19。臨菑と改称。濟北・膠東を分立 関中を分け漢とする。雍・塞・翟も分立 30。燕(分けて遼東を立てる) 18。西魏と改称、殷を分立 21。韓(河南を分立)

十八王の分封(漢元年二月)

項羽(西楚霸王、初めて自立し天下の主として命を下し十八王を立てる)が主導し、以下十八王を立てた。 - 西楚霸王項籍(都彭城) - 衡山王呉芮(もと番君) - 臨江王共敖(もと楚柱国) - 九江王英布(もと楚将) - 常山王張耳(もと楚将、都襄國) - 代王趙歇(もと趙王、都代) - 齊(臨菑)王田都(もと齊将、都臨菑) - 濟北王田安(もと齊将、都博陽) - 膠東王田市(もと齊王、都即墨) - 漢王(もと沛公、二月に始まる、都南鄭) - 雍王章邯(もと秦将、都廢丘) - 塞王司馬欣(もと秦将、都櫟陽) - 翟王董翳(もと秦将、都高奴) - 燕王臧荼(もと燕将、都薊) - 遼東王韓廣(もと燕王、都無終) - 西魏王魏豹(もと魏王、都平陽、のち都朝歌) - 河南王申陽(もと楚将、都洛陽) - 韓王韓成(もと韓将、都陽翟) - 殷王司馬卬(もと趙将、都朝歌)

漢二年(前206年)二月以降~五年(前202年)の推移

  • 四月(漢元年)諸侯は戲下の兵を解散させ各々自国に赴いた。
  • 漢2年(前205年)四月、田榮が田都を撃ち田都は楚へ降る。
  • 五月、(同月)記事継続。
  • 六月、齊王田榮が始まる(もと齊相)。田榮が市を撃ち殺す。
  • 七月、田榮が田安を撃ち殺す。田安の地は齊に属す。
  • 八月、項羽が成(韓王成)を誅す。
  • 十月、雍王章邯が廢丘を守り漢がこれを囲む。塞王司馬欣が漢に降り国が除かれる。翟王董翳も漢に降り国が除かれる。燕(臧荼)が廣を無終で撃ちこれを滅ぼす。韓王鄭昌が始まる、項羽がこれを立てる。
  • 十一月、(雍・塞地はそれぞれ漢に属し渭南・河上郡、上郡となる)。
  • 十二月、(記事なし)。
  • 漢2年正月、(記事なし)。
  • 二月、記事なし。
  • 三月、王(漢王)が殷を撃つ。魏豹が漢に降る。
  • 四月、項羽が兵三万で漢兵五十六万を破る。齊王田廣が始まる(榮の子、橫がこれを立てる)。王(漢王)が楚を伐ち彭城に至るが敗れ走る。
  • 五月、王(漢王)が滎陽へ逃れる。魏豹が漢に帰るが後に叛く。
  • 六月、王(漢王)が関に入り太子を立て、再び滎陽へ行く。漢が章邯を廢丘で殺す。
  • 七月、淮南王英布が始まる、漢がこれを立てる。
  • 八月、(記事なし)。
  • 九月、太公・呂后が楚より帰る。
  • 漢3年(前204年)十月、記事なし。
  • 十一月、漢将韓信が陳餘を斬る。漢が趙王歇を滅ぼす。
  • 十二月、(記事なし)。
  • 漢3年正月、(記事なし)。
  • 四月、楚が王(漢王)を滎陽で囲む。
  • 七月、(趙の地が漢に属し太原郡となる)。
  • 八月、王(漢王)が滎陽を脱出。
  • 漢3年後九月、周苛・樅公が魏豹を殺す。
  • 漢4年(前203年)十一月、漢将韓信が龍且を破り殺す。趙王張耳が始まる、漢がこれを立てる。(韓廣が漢将韓信に撃たれ殺される)。
  • 漢4年二月、韓信を斉王に立てる。
  • 三月、漢の御史周苛が楚に入り死す。
  • 四月、王(漢王)が滎陽を脱出、魏豹は死す。
  • 七月、淮南王英布が始まる、漢がこれを立てる(重出)。
  • 九月、太公・呂后が楚より帰る(重出)。
  • 漢5年(前202年)十月、記事なし。
  • 十二月、項籍を誅す。漢が臨江王驩を虜にする。
  • 正月、項籍を殺し天下が平定され、諸侯は皆漢に臣属する。齊王韓信を楚王に徙す。淮南国・趙国が置かれる。長沙国は臨江を分けて立てる。
  • 二月甲午、王(漢王)が号を改め定陶で皇帝の位に即く。梁王彭越が始まる。衡山王呉芮が長沙王となる。
  • 四月、韓王信を代王に徙す、馬邑に都す。梁国を復置する。
  • 六月、帝(高祖)が関に入る。
  • 八月、帝が自ら燕を誅すべく将となる。
  • 九月、燕王(臧荼)が反し漢がこれを虜にする。燕王盧綰が始まる(漢の太尉)。

以上、秦の滅亡から楚漢の抗争を経て漢が天下を統一するまでの五年間の推移を、月を追って記した。