史記卷十五 六國年表

太史公の弁

  • 太史公は『秦記』を読み、犬戎が幽王を破り周が雒邑へ東遷し、秦の襄公が初めて諸侯に封ぜられ西畤を作り上帝を祀った件に至って、僭越の端緒が現れたと知った。礼に「天子は天地を祭り、諸侯はその域内の名山大川を祭る」とある。しかし秦は戎狄の風俗を雑え、暴戻を先とし仁義を後回しにしながら、藩臣の地位で郊祀を行い、君子はこれを懼れた。
  • 文公が隴を越えて夷狄を退け陳寶を尊び岐・雍の間を営んだ頃から、穆公が政を修め東は河に至るに及び、斉桓・晉文ら中国の覇者に肩を並べるようになった。
  • その後は陪臣が政を執り、大夫が世禄を得、六卿が晉の実権を握り、征伐・会盟の威は諸侯を凌いだ。田常が簡公を殺して斉の相となっても諸侯は平然として討たず、天下は戦功を争うようになった。ついに三国(韓・魏・趙)が晉を分割し、田和もまた斉を滅ぼしてこれを有し、六国の盛時はここから始まる。
  • 各国は強兵と敵国併呑に務め、謀詐が用いられ合従連衡の説が興った。偽りの盟約が次々に現れ、誓盟は信用されず、人質を置き符節を分けてもなお約束を守れなかった。
  • 秦は元来辺境の小国で中原の諸国から戎狄同然に見下されていたが、献公以後は常に諸侯を凌駕するようになった。秦の徳義を論ずれば魯・衛の暴戻にすら及ばず、兵力を量れば三晉の強さにも及ばないのに、ついに天下を併呑したのは、必ずしも険固な地形や有利な形勢によるものではなく、天の助けのようなものであったと思われる。
  • ある人は「東方は物の始めて生ずる所、西方は物の成熟する所」と言う。事を興す者は必ず東南に興り、功実を収める者は常に西北にある。故に禹は西羌に興り、湯は亳に起こり、周の王たるや豐鎬をもって殷を伐ち、秦の帝たるや雍州をもって興り、漢の興るや蜀漢より始まった。
  • 秦はすでに天下を得ると、天下の『詩』『書』を焼き、諸侯の史記はことに甚だしく焼かれた。それらに刺譏(風刺)があったためである。『詩』『書』が再び見られるようになったのは多く民間に蔵されていたからだが、史記は独り周室にのみ蔵されていたため、この故に滅んだ。惜しいことだ、惜しいことだ。ただ『秦記』のみが残ったが、これも日月を載せず、その文は簡略で具わらない。それでも戦国の権変(政治的駆け引き)にも採るべきものがあり、何も上古の事だけを尊ぶ必要はない。
  • 秦が天下を取ったやり方は多く暴であったが、世は移り変わり、その成し遂げた功業は大きい。伝に「後王に法る」とあるのはなぜか。時代が近く風俗の変化が似通っており、議論が卑近で行いやすいからである。学者は聞いたところに引きずられ、秦が帝位にあった期間が短かったのを見てその終始をよく調べもせず、いたずらにこれを笑い、あえて語ろうとしない。これは耳で食べるのと変わらぬ愚かさである。悲しいことだ。
  • 私はここに『秦記』により、『春秋』の後を継ぎ、周元王より起こして六国の時事を表にし、二世(秦二世皇帝)に至るまで、およそ二百七十年、聞くところの興亡の端緒を著した。後世の君子はこれを見て考えるであろう。

六国年表(周元王元年~秦二世三年、前476年~前207年)

以下、西暦(BCE)ごとに周・秦・魏(初め魏獻子)・韓(初め韓宣子)・趙(初め趙簡子)・楚・燕・齊の当主の在位年数と主な事跡を記す。魏・韓・趙は前403年に周王から諸侯と認められるまでは晉の卿の家として年数のみを記す。空欄は原表に記載なし。

前(BCE)
476 元王元年 厲共公元年 楚惠王章13年、呉が我を伐つ 燕獻公17年 齊平公驁5年
475 2 2(蜀人が賂を来す。晉定公卒す) 14(越が呉を囲み呉はこれを怨む) 18 6
474 3 3 晉出公錯元年 15 19 7(越人が初めて来る)
473 4 4 16(越が呉を滅ぼす) 20 8
472 5 5(楚人が賂を来す) 17(蔡景侯卒す) 21 9(晉の知伯瑤が我を伐つ)
471 6 6(義渠が賂を来す。緜諸が援を乞う) 18(蔡聲侯元年) 22 10
470 7 7(彗星見る。衛出公が飲み大夫が襪を解かず、公が怒って攻められ宋へ出奔) 19(王子英が秦へ出奔) 23 11
469 8 8 20 24 12
468 定王元年 9 21 25 13
467 2 10(庶長が兵を将いて魏城を抜く。彗星見る) 22(魯哀公卒す) 26 14
466 3 11 23(魯悼公元年。三桓が勝ち魯は小侯のごとくなる) 27 15
465 4 12 24 28 16
464 5 13(知伯が鄭を伐ち駟桓子が斉に救いを求める) 25 燕孝公元年 17(鄭を救い晉師去る。中行文子は田常に「今こそ亡ぶ理由を知った」と言う)
463 6 14(晉人・楚人が賂を来す。鄭聲公卒す) 26 2 18
462 7 15 鄭哀公元年 27 3
461 8 16(阿の傍らに塹を掘る。大荔を伐つ。龐戲城を補う) 28 4 19
460 9 17 29 5 20
459 10 18 30 6 21
458 11 19 31 7 22
457 12 20(公が師を率い緜諸と戦う) 趙襄子元年、未除服のまま夏屋に登り代王を誘い金斗で殺す。伯魯の子周を代成君に封ず 32(蔡聲侯卒す) 8 23
456 13 21 晉哀公忌元年 2 33(蔡元侯元年) 9 24
455 14 22 衛悼公黔元年 3 34 10 齊宣公就匝元年
454 15 23 4(智伯と共に范・中行の地を分ける) 35 11 2
453 16 24 魏桓子が智伯を晉陽で破る 韓康子が智伯を晉陽で破る 5(襄子が智伯を晉陽で破り魏・韓と三分してその地を分ける) 36 12 3
452 17 25(晉大夫智開がその邑人を率いて来奔) 6 37 13 4
451 18 26(左庶長が南鄭に城を築く) 7 38 14(宋景公卒す) 5
450 19 27 衛敬公元年 8 39(蔡侯齊元年) 15 6(宋昭公元年)
449 20 28(越人が女を迎えに来る) 9 40 燕成公元年 7
448 21 29(晉大夫智寛がその邑人を率いて来奔) 10 41 2 8
447 22 30 11 42(楚が蔡を滅ぼす) 3 9
446 23 31 12 43 4 10
445 24 32 13 44(杞を滅ぼす、杞は夏の後裔) 5 11
444 25 33(義渠を伐ちその王を虜にする) 14 45 6 12
443 26 34(日食、昼が暗くなる、星見る) 15 46 7 13
442 27 秦躁公元年 16 47 8 14
441 28 2(南鄭が反す) 17 48 9 15
440 考王元年 3 18 49 10 16
439 2 4 19 50 11 17
438 3 5 20 51 12 18
437 4 6 晉幽公柳元年、韓・魏に服す 21 52 13 19
436 5 7 22 53 14 20
435 6 8(六月、雪降る。日月食) 23 54 15 21
434 7 9 24 55 16 22
433 8 10 25 56 燕湣公元年 23
432 9 11 26 57 2 24
431 10 12 衛昭公元年 27 楚簡王仲元年、莒を滅ぼす 3 25
430 11 13(義渠が秦を伐ち渭陽まで侵す) 28 2 4 26
429 12 14 29 3(魯悼公卒す) 5 27
428 13 秦懷公元年、靈公を生む 30 4(魯元公元年) 6 28
427 14 2 31 5 7 29
426 15 3 32 6 8 30
425 威烈王元年 4(庶長鼂が懷公を殺す。太子が早く死んだため大臣が太子の子を立て靈公とする) 衛悼公亹元年 33(襄子卒す) 7 9 31
424 2 秦靈公元年、獻公を生む 魏文侯斯元年 韓武子元年 趙桓子元年 8 10 32
423 3 2 2 2(鄭幽公元年、韓がこれを殺す) 趙獻侯元年 9 11 33
422 4 3(上下畤を作る) 3 3(鄭が幽公の子を立て繻公とす、元年) 2 10 12 34
421 5 4 4 4 3 11 13 35
420 6 5 5(魏が晉幽公を誅しその弟止を立てる) 5 4 12 14 36
419 7 6 6(晉烈公止元年。魏が少梁に城を築く) 6 5 13 15 37
418 8 7(魏と少梁で戦う) 7 7 6 14 16 38
417 9 8(河瀕に城塹を築く。初めて君主の女を河伯に妻わせる) 8(再び少梁に城を築く) 8 7 15 17 39
416 10 9 9 9 8 16 18 40
415 11 10(龐を補い籍姑に城を築く。靈公卒し季父の悼子が立つ、これが簡公) 10 10 9 17 19 41
414 12 秦簡公元年 11(衛慎公元年) 11 10(中山武公が初めて立つ) 18 20 42
413 13 2(晉と戦い鄭の下で敗れる) 12 12 11 19 21 43(晉を伐ち黄城を毀し陽狐を囲む)
412 14 3 13(公子擊が繁龐を囲みその民を出す) 13 12 20 22 44(魯・莒および安陽を伐つ)
411 15 4 14 14 13(平邑に城を築く) 21 23 45(魯を伐ち都を取る)
410 16 5(日食) 15 15 14 22 24 46
409 17 6(初めて吏に剣を帯びさせる) 16(秦を伐ち臨晉・元里に城を築く) 16 15 23 25 47
408 18 7(洛に塹を掘り重泉に城を築く。初めて禾を租税とする) 17(中山を守備で撃つ。秦を伐ち鄭に至り帰路に洛陰・合陽に城を築く) 韓景侯虔元年、鄭を伐ち雍丘を取る。鄭は京に城を築く 趙烈侯籍元年、魏が太子に中山を伐たせる 24(簡王卒す) 26 48(魯の郕を取る)
407 19 8 18(文侯が子夏に経を受ける。段干木の門を過ぎるといつも式(敬礼)を用いる) 2(鄭を負黍で破る) 2 楚聲王當元年、魯穆公元年 27 49(鄭と西城で会し衛を伐ち毌を取る)
406 20 9 19 3 3 2 28 50
405 21 10 20(相を卜し李克・翟璜が争う) 4 4 3 29 51(田会が廩丘で反す)
404 22 11 21 5 5 4 30 齊康公貸元年
403 23(九鼎震う) 12 22(初めて侯となる) 6(初めて侯となる) 6(初めて侯となる) 5(魏・韓・趙が初めて諸侯に列す) 31 2(宋悼公元年)
402 24 13 23 7 7(烈侯が音を好み歌者に田を賜おうとするが徐越が仁義を説いて止める) 6(賊が聲王を殺す) 燕釐公元年 3
401 安王元年 14(魏を伐ち陽狐に至る) 24(秦が我を伐ち陽狐に至る) 8 8 楚悼王類元年 2 4
400 2 15 25(太子罃生まれる) 9(鄭が陽翟を囲む) 9 2(三晉が我を伐ち乘丘に至る) 3 5
399 3(王子定が晉へ出奔) 秦惠公元年 26(虢山崩れ河を塞ぐ) 韓烈侯元年 趙武公元年 3(榆関を鄭に帰す) 4 6
398 4 2 27 2(鄭がその相駟子陽を殺す) 2 4(鄭師を破り鄭を囲む。鄭人が子陽を殺す) 5 7
397 5 3(日食) 28 3(三月、賊が韓相俠累を殺す) 3 5 6 8
396 6 4 29 4(鄭の相子陽の徒がその君繻公を殺す) 4 6 7 9
395 7 5(緜諸を伐つ) 30 5(鄭康公元年) 5 7 8 10(宋休公元年)
394 8 6 31 6(魯を救う。鄭の負黍が反す) 6 8 9 11(魯を伐ち最を取る)
393 9 7 32(鄭を伐ち酸棗に城を築く) 7 7(韓を伐ち負黍を取る) 10 12
392 10 8 33(晉孝公傾元年) 8 8 10 11 13
391 11 9(韓の宜陽を伐ち六邑を取る) 34 9(秦が宜陽を伐ち六邑を取る) 9 11 12 14
390 12 10(晉と武城で戦う。陝を県とする) 35(斉を伐ち襄陵を取る) 10 10 12 13 15(魯が我を平陸で破る)
389 13 11(太子生まれる) 36(秦が陰晉を侵す) 11 11 13 14 16(晉・衛と濁澤で会す)
388 14 12 37 12 12 14 15 17
387 15 13(蜀が我が南鄭を取る) 38 13 13 15 16 18
386 16 秦出公元年 魏武侯元年、邯鄲を襲うが敗れる 韓文侯元年 趙敬侯元年、武公の子朝が乱を起こし魏へ出奔 16 17 19(田常の曾孫田和が初めて諸侯に列す。康公を海上に遷し一城を食む)
385 17 2(庶長が改めて靈公の太子を迎え立て獻公とする。出公を誅す) 2(安邑・王垣に城を築く) 2(鄭を伐ち陽城を取る。宋を伐ち彭城に到り宋君を捕える) 2 17 18 20(魯を伐ち破る。田和卒す)
384 18 秦獻公元年 3 3 3 18 19 21(田和の子桓公午が立つ)
383 19 2(櫟陽に城を築く) 4 4(魏が我を兔臺で破る) 4 19 20 22
382 20 3(日食、昼が暗くなる) 5 5 5 20 21 23
381 21 4(孝公生まれる) 6 6 6 21 22 24
380 22 5 7(斉を伐ち桑丘に至る) 7(斉を伐ち桑丘に至る。鄭が晉を破る) 7(斉を伐ち桑丘に至る) 楚肅王臧元年 23 25(燕を伐ち桑丘を取る)
379 23 6(初めて蒲・藍田・善明氏を県とする) 8 8(衛を襲うが克たず) 2 24 25 26(康公卒す。田氏がついに斉を併せこれを有す。太公望の後裔の祀が絶える)
378 24 7 9(翟が我を澮で破る。斉を伐ち靈丘に至る) 9(斉を伐ち靈丘に至る) 9(斉を伐ち靈丘に至る) 3 25 齊威王因元年、田常より威王に至り威王が初めて斉を天下に強めた
377 25 8 10(晉靜公俱酒元年) 10 10(蜀が我が茲方を伐つ) 26 2
376 26 9 11(魏・韓・趙が晉を滅ぼし後継を絶つ) 韓哀侯元年、晉国を分ける 11(晉国を分ける) 5(魯共公元年) 27 3(三晉がその君を滅ぼす)
375 烈王元年 10(日食) 12 2(鄭を滅ぼす。康公20年で滅ぶ、後継無し) 12 6 28 4
374 2 11(櫟陽を県とする) 13 3 趙成侯元年 7 29 5
373 3 12 14 4 2 8 30(斉を林孤で破る。魯が伐ち陽関に入る。晉が伐ち鱄陵に到る) 6
372 4 13 15(衛聲公元年。趙を北藺で破る) 5 3(衛を伐ち都鄙七十三を取る。魏が我を藺で破る) 9 燕桓公元年 7(宋辟公元年)
371 5 14 16(楚を伐ち魯陽を取る) 6(韓嚴がその君を殺す) 4 10(魏が我が魯陽を取る) 2 8
370 6 15 惠王元年 莊侯元年 5(斉を甄で伐つ。魏が我を懷で破る) 11 3(趙が我を甄で伐つ) 9
369 7 16(民に大疫。日食) 2(韓を馬陵で破る) 2(魏が我を馬陵で破る) 6(魏を涿澤で破り惠王を囲む) 楚宣王良夫元年 4 10(宋剔成元年)
368 顯王元年 17(櫟陽に金の雨、四月から八月まで) 3(斉が我を觀で伐つ) 3 7(斉を侵し長城に至る) 2 5 11(魏を伐ち觀を取る。趙が我が長城を侵す)
367 2 18 4 4 8 3 6 12
366 3 19(韓・魏を洛陰で破る) 5(韓と宅陽で会す。武都に城を築く) 5 9 4 7 13
365 4 20 6(宋を伐ち儀臺を取る) 6 10 5 8 14
364 5(秦を賀う) 21(章蟜が晉と石門で戦い首六万を斬る。天子が賀す) 7 7 11 6 9 15
363 6 22 8 8 12 7 10 16
362 7 23(魏と少梁で戦いその太子を虜にする) 9(秦と少梁で戦い我が太子を虜にされる) 9(魏が我を澮で破る。大雨三月) 13(魏が我を澮で破る) 8 11 17
361 8 秦孝公元年、彗星が西方に見える 10(趙の皮牢を取る) 衛成侯元年 10 14 燕文公元年 18
360 9(秦に胙を致す) 2(天子が胙を致す) 11 11 15 10 2 19
359 10 3 12(星が昼に落ち音あり) 12 16 11 3 20
358 11 4 13 韓昭侯元年、秦が我を西山で破る 17 12 4 21(鄒忌が琴を弾き威王に見える)
357 12 5 14(趙と鄗で会す) 2(宋が我が黄池を取る。魏が我が朱を取る) 18(趙孟が斉に行く) 13(君尹黒が女を秦に迎える) 5 22(鄒忌を成侯に封ず)
356 13 6 15(魯・衛・宋・鄭侯が来る) 3 19(燕と阿で会す。斉・宋と平陸で会す) 14 6 23(趙と平陸で会す)
355 14 7(魏王と杜平で会す) 16(秦孝公と杜平で会す。宋の黄池を侵すが宋が取り返す) 4 20 15 7 24(魏と田で会す)
354 15 8(魏と元里で戦い首七千を斬り少梁を取る) 17(秦と元里で戦い秦が我が少梁を取る) 5 21(魏が我が邯鄲を囲む) 16 8 25
353 16 9 18(邯鄲が降る。斉が我を桂陵で破る) 6(東周を伐ち陵観・廩丘を取る) 22(魏が邯鄲を抜く) 17 9 26(魏を桂陵で破る)
352 17 10(衛の公孫鞅が大良造となり安邑を伐ち降す) 19(諸侯が我が襄陵を囲む。長城を築き固陽を塞ぐ) 7 23 18(魯康公元年) 10 27
351 18 11(商塞に城を築く。衛鞅が固陽を囲み降す) 20(趙の邯鄲を帰す) 8(申不害が相となる) 24(魏が邯鄲を帰し魏と漳水上で盟う) 19 11 28
350 19 12(初めて小邑を集め三十一県とし令を置く。田を開き阡陌とする) 21(秦と彤で会う) 9 25 20 12 29
349 20 13(初めて県を置き秩史を有す) 22 10(韓姫が君悼公を弑す) 趙肅侯元年 21 13 30
348 21 14(初めて賦を課す) 23 11(昭侯が秦に行く) 2 22 14 31
347 22 15 24 12 3(公子范が邯鄲を襲うが勝てず死す) 23 15 32
346 23 16 25 13 4 24 16 33(大夫牟辛を殺す)
345 24 17 26 14 5 25 17 34
344 25(諸侯が会す) 18 27(丹を名会に封ず。丹は魏の大臣) 15 6 26 18 35(田忌が斉を襲うが勝てず)
343 26(秦に伯を致す) 19(武城に城を築く。東方の牡丘より帰る。天子が伯を致す) 28 16 7 27(魯景公偃元年) 19 36
342 27 20(諸侯が皆賀す。諸侯を沢で会し天子に朝す) 29(中山君が相となる) 17 8 28 20 齊宣王辟彊元年
341 28 21(馬が人を生む) 30(斉が我が太子申を虜にし将軍龐涓を殺す) 18 9 29 21 2(魏を馬陵で破る、田忌・田嬰・田朌が将、孫子が師となる)
340 29 22(大良造商鞅を封ず) 31(秦の商君が我を伐ち我が公子卬を虜にする) 19 10 30 22 3(趙と会し魏を伐つ)
339 30 23(晉と岸門で戦う) 32(公子赫が太子となる) 20 11 楚威王熊商元年 23 4
338 31 24(大荔が合陽を囲む。孝公薨、商君が反し彤の地で死す) 33(衛鞅が我に亡命して来るが我は恐れ入れず) 21 12 2 24 5
337 32 秦惠文王元年、楚・韓・趙・蜀人が来る 34 22(申不害卒す) 13 3 25 6
336 33(秦を賀う) 2(天子が賀す。銭を流通させる。宋の太丘社が亡ぶ) 35(孟子が来て王が利を問い「君は利を言うべきでない」と答える) 23 14 4 26 7(魏と平阿南で会す)
335 34 3(王が冠す。韓の宜陽を抜く) 36 24(秦が我が宜陽を抜く) 15 5 27 8(魏と甄で会す)
334 35 4(天子が文武の胙を致す。魏夫人が来る) 魏襄王元年、諸侯と徐州で会し互いに王を称し合う 25(旱魃。高門を作る。屈宜臼は「昭侯はこの門を出ぬだろう」と言う) 16 6 28(蘇秦が燕に説く) 9(魏と徐州で会い諸侯が互いに王を称す)
333 36 5(陰晉人犀首が大良造となる) 2(秦が我を彫陰で破る) 26(高門成る、昭侯卒す、この門を出ぬまま) 17 7(斉を徐州で囲む) 29 10(楚が我を徐州で囲む)
332 37 6(魏が陰晉を和平の証とし寧秦と命名) 3(趙を伐つ) 衛平侯元年、韓宣惠王元年 18(斉・魏が我を伐ち我は河水を決して浸す) 8 燕易王元年 11(魏と共に趙を伐つ)
331 38 7(義渠が内乱、庶長操が兵を率い平定) 4 2 19 9 2 12
330 39 8(魏が河西の地を秦に入れる) 5(秦に河西の地少梁を与える。秦が我が焦・曲沃を囲む) 3 20 10 3 13
329 40 9(河を渡り汾陰・皮氏を取る。焦を囲み降す。魏と応で会す) 6(秦と応で会す。秦が汾陰・皮氏を取る) 4 21 11(魏が我を陘山で破る) 4 14
328 41 10(張儀が相となる。公子桑が蒲陽を囲み降す。魏が上郡を納める) 7(上郡を秦に入れる) 5 22 楚懷王槐元年 5 15(宋君偃元年)
327 42 11(義渠君が臣となる。魏の焦・曲沃を帰す) 8(秦が我が焦・曲沃を帰す) 6 23 2 6 16
326 43 12(初めて臘を行う。龍門で会す) 9 7 24 3 7 17
325 44 13(四月戊午、君が王を称す) 10 8(魏が我が韓挙を破る) 趙武靈王元年、魏が我が趙護を破る 4 8 18
324 45 相張儀が兵を率い陝を取る、初更元年 11(衛嗣君元年) 9 2(鄗に城を築く) 5 9 19
323 46 2(相張儀が斉・楚と齧桑で会す) 12 10(君が王を称す) 3(魏を襄陵で破る) 10(君が王を称す) 齊湣王地元年
322 47 3(張儀が相を免ぜられ魏の相となる) 13(秦が曲沃を取る。平周の女が丈夫に化す) 11 4(韓と区鼠で会す) 7 11
321 48 4 14 12 5(韓の女を娶り夫人とする) 8 12(田嬰を薛に封ず)
320 慎靚王元年 5(王が北の戎地に遊び河上に至る) 15 13 6 9 燕王噲元年 4(秦より婦を迎える)
319 2 6 16 14(秦が来て我を撃ち鄢を取る) 7 10(廣陵に城を築く) 2 5
318 3 7(五国が共に秦を撃つが勝てず還る) 魏哀王元年、秦を撃つが勝てず 15(秦を撃つが勝てず) 8(秦を撃つが勝てず) 11(秦を撃つが勝てず) 3(秦を撃つが勝てず) 6(宋が自ら王を称す)
317 4 8(韓・趙と戦い首八万を斬る。張儀が再び相となる) 2(斉が我を觀澤で破る) 16(秦が我を脩魚で破り将軍𥍟申差を得る) 9(韓・魏と共に秦を撃つ。斉が我を觀澤で破る) 12 4 7(魏・趙を觀澤で破る)
316 5 9(蜀を撃ち滅ぼす。趙の中都・西陽を取る) 3 17 10(秦が我が中都・西陽を取る) 13 5(君が臣の子之に国を譲り自らは臣となる) 8
315 6 10 4 18 11(秦が我が将軍英を破る) 14 6 9
314 周赧王元年 11(義渠を侵し二十五城を得る) 5(秦が我が曲沃を抜き人民を帰す。犀首が岸門へ走る) 19 12 15(魯平公元年) 7(君噲及び太子・相の子之が皆死す) 10
313 2 12(樗里子が藺陽を撃ち趙の将を虜にする。公子繇通を蜀に封ず) 6(秦が来て公子政を太子として立てる。秦王と臨晉で会す) 20(秦が我が藺を抜き将趙莊を虜にする) 13(張儀が来て相となる) 16 8 11
312 3 13(庶長章が楚を撃ち首八万を斬る) 7(斉を撃ち聲子を濮で虜にする。秦と共に燕を撃つ) 21(我は秦を助け楚を攻め景座を囲む) 14 17(秦が我が将屈匄を破る) 9(燕人が共に公子平を立てる) 12
311 4 14(蜀の相が蜀侯を殺す) 8(衛を囲む) 韓襄王元年 15 18 燕昭王元年 13
310 5 秦武王元年、蜀相の壮を誅す。張儀・魏章は皆魏へ出る 9(秦と臨晉で会す) 2 16(呉広が女を入れ子の何を生み惠王后に立てる) 19 2 14
309 6 2(初めて丞相を置く、樗里子・甘茂が丞相となる) 10(張儀死す) 3 17 20 3 15
308 7 3 11(秦と応で会す) 4(秦と臨晉で会す。秦が我が宜陽を撃つ) 18 21 4 16
307 8 4(宜陽城を抜き首六万を斬る。河を渉り武遂に城を築く) 12(太子が秦に朝しに行く) 5(秦が我が宜陽を抜き首六万を斬る) 19(初めて胡服) 22 5 17
306 9 秦昭襄王元年 13(秦が皮氏を撃つが抜かずに解く) 6(秦が再び我に武遂を与える) 20 23 6 18
305 10 2(彗星見る。桑君が乱を起こし誅される) 14(秦武王后が我に帰す) 7 21 24(秦が来て婦を迎える) 7 19
304 11 3 15 8 22 25(秦王と黄棘で会し秦が再び我に上庸を帰す) 8 20
303 12 4(彗星見る) 16(秦が我が蒲坂・晉陽・封陵を抜く) 9(秦が武遂を取る) 23 26(太子を秦に質とする) 9 21
302 13 5(魏王が来朝) 17(秦と臨晉で会す、再び我に蒲坂を帰す) 10(太子嬰が秦王と臨晉で会し咸陽に至って帰る) 24 27 10 22
301 14 6(蜀が反す、司馬錯が往き蜀守煇を誅し蜀を定める。日食、昼が暗くなる。楚を伐つ) 18(秦と共に楚を撃つ) 11(秦が我が穰を取る。秦と共に楚を撃つ) 25(趙が中山を攻める。惠后卒す) 28(秦・韓・魏・斉が我が将軍唐眛を重丘で破る) 11 23(秦と共に楚を撃つ、公子を将とし大功あり)
300 15 7(樗里疾卒す。楚を撃ち首三万を斬る。魏冉が相となる) 19 12 26 29(秦が我が襄城を取り景缺を殺す) 12 24(秦が涇陽君を質として来させる)
299 16 8(楚王が来て留められる) 20(斉王と韓で会す) 13(斉・魏王が来る。咎を太子に立てる) 27 30(王が秦に入る。秦が我が八城を取る) 13 25(涇陽君が再び秦に帰る。薛文が入って秦の相となる)
298 17 9 21(斉・韓と共に秦を函谷で撃つ。河・渭が一日絶える) 14(斉・魏と共に秦を撃つ) 趙惠文王元年、公子勝を相とし平原君に封ず 楚頃襄王元年、秦が我が十六城を取る 14 26(魏・韓と共に秦を撃つ。孟嘗君が帰って斉の相となる)
297 18 10(楚懷王が趙へ亡命するが趙が入れず) 22 15 2(楚懷王が来るが入れず) 2 15 27
296 19 11(彗星見る。再び魏に封陵を与える) 23 16(秦が我と武遂で和す) 3 3(懷王が秦で卒し帰り葬られる) 16 28
295 20 12(樓緩を免ず。穰侯魏冉が丞相となる) 魏昭王元年、秦の尉錯が我が襄を撃つ 韓釐王咎元年 4(主父を囲み殺す。斉・燕と共に中山を滅ぼす) 4(魯文公元年) 17 29(趙を佐け中山を滅ぼす)
294 21 13(任鄙が漢中守となる) 2(秦と戦い我に不利) 2 5 5 18 30(田甲が王を劫し相薛文が走る)
293 22 14(白起が伊闕を撃ち首二十四万を斬る) 3(韓を佐け秦を撃つが秦が我を伊闕で破る) 3(秦が我を伊闕で破り首二十四万を斬り将喜を虜にする) 6 6 19 31
292 23 15(魏冉が相を免ぜられる) 4 4 7(秦から婦を迎える) 20 32
291 24 16 5 5(秦が我が宛城を抜く) 8 8 21 33
290 25 17(魏が河東四百里を入れる) 6(芒卯が詐りで重んじられる) 6(秦と武遂の地方二百里を与える) 9 9 22 34
289 26 18(客卿錯が魏を撃ち軹に至り大小六十一城を取る) 7(秦が我を撃ち大小六十一城を取る) 7 10 10 23 35
288 27 19(十月に帝を称し十二月に再び王となる。任鄙卒す) 8 8 11(秦が我が桂陽を抜く) 11 24 36(東帝を二か月称し再び王となる)
287 28 20 9(秦が我が新垣・曲陽の城を抜く) 9 12 12 25 37
286 29 21(魏が安邑及び河内を納める) 10(宋王が我が温で死す) 10(秦が我が兵を夏山で破る) 13 13 26 38(斉が宋を滅ぼす)
285 30 22(蒙武が斉を撃つ) 11 11 14(秦と中陽で会す) 14(秦と宛で会す) 27 39(秦が我が城九つを抜く)
284 31 23(尉斯離が韓・魏・燕・趙と共に斉を撃ち破る) 12(秦と共に斉を済西で撃つ。秦王と西周で会す) 12(秦と共に斉を済西で撃つ。秦王と西周で会す) 15(斉の昔陽を取る) 15(斉の淮北を取る) 28(秦・三晉と共に斉を撃ち燕が独り臨菑に入りその宝器を取る) 40(五国が共に湣王を撃ち王は莒へ逃れる)
283 32 24(楚と穰で会す) 13(秦が我が安城を抜き兵は大梁に至って還る) 13 16 16(秦王と穰で会す) 29 齊襄王法章元年
282 33 25 14(大水。衛懷君元年) 14(秦と両周の間で会す) 17(秦が我が両城を抜く) 17 30 2
281 34 26(魏冉が再び丞相となる) 15 15 18(秦が我が石城を抜く) 18 31 3
280 35 27(趙を撃ち首三万を斬る。地震で城が壊れる) 16 16 19(秦が我が軍を破り首三万を斬る) 19(秦が我を撃ち秦に漢北及び上庸の地を与える) 32 4
279 36 28 17 17 20(秦と黽池で会す、藺相如が従う) 20(秦が鄢・西陵を抜く) 33 5(燕の騎劫を殺す)
278 37 29(白起が楚を撃ち郢を抜き東は竟陵に至りこれを南郡とする) 18 18 21 21(秦が我が郢を抜き夷陵を焼き王は陳へ逃れる) 燕惠王元年 6
277 38 30(白起を武安君に封ず) 19 19 22 22(秦が我が巫・黔中を抜く) 2 7
276 39 31 魏安釐王元年、秦が我が両城を抜く。弟の公子無忌を信陵君に封ず 20 23 23(秦が我が奪った江旁の地が秦に反す) 3 8
275 40 32 2(秦が我が両城を抜き大梁下に軍す。韓が救援に来て秦と温を以て和す) 21(暴鳶が魏を救うが秦に敗れ開封へ逃れる) 24 24 4 9
274 41 33 3(秦が我が四城を抜き首四万を斬る) 22 25 25 5 10
273 42 34(白起が魏を華陽軍で撃ち芒卯逃れ三晉の将を得て首十五万を斬る) 4(秦と南陽を以て和す) 23 26 26 6 11
272 43 35 5(燕を撃つ) 韓桓惠王元年 27 27(燕を撃つ、魯頃公元年) 7 12
271 44 36 6 2 28(藺相如が斉を攻め平邑に至る) 28 燕武成王元年 13
270 45 37 7 3(秦が我が閼与城を撃つが抜けず) 29(秦が韓の閼与を攻める。趙奢が将となり秦を撃ち大破し馬服の号を賜る) 29 2 14(秦・楚が我が剛壽を撃つ)
269 46 38 8 4 30 30 3 15
268 47 39(秦が我が懷城を抜く) 9 5 31 31 4 16
267 48 40(太子が魏に質となり死す、芷陽に帰葬) 10 6 32 32 5 17
266 49 41(秦が我が廩丘を抜く) 11 7 33 33 6 18
265 50 42(宣太后薨。安国君を太子とする) 12 8 趙孝成王元年、秦が我が三城を抜く、平原君が相となる 34 7(斉の田単が中陽を抜く) 19
264 51 43 13 9(秦が我が陘を抜き汾旁に城を築く) 2 35 8 齊王建元年
263 52 44(韓を攻め南陽を取る) 14 10(秦が我が太行を撃つ) 3 36 9 2
262 53 45(韓を攻め十城を取る) 15 11 4 楚考烈王元年、秦が我が州を取る、黄歇が相となる 10 3
261 54 46(王が南鄭に行く) 16 12 5(廉頗に秦を長平で拒がせる) 2 11 4
260 55 47(白起が趙を長平で破り兵卒四十五万を殺す) 17 13 6(趙括に廉頗に代え将とする。白起が括を破り四十五万を殺す) 3 12 5
259 56 48 18 14 7 4 13 6
258 57 49 19 15 8 5 14 7
257 58 50(王齕・鄭安平が邯鄲を囲み齕が軍を還すに及び新中を抜く) 20(公子無忌が邯鄲を救い秦兵が解いて去る) 16 9(秦が我が邯鄲を囲むが楚・魏が救援) 6(春申君が趙を救う) 燕孝王元年 8
256 59(赧王卒す) 51 21(韓・魏・楚が趙を新中で救い秦兵が退く) 17(秦が我が陽城を撃つ。趙の新中を救う) 10(趙の新中を救う) 2 9
255 52(西周を取る。王稽が棄市される) 22 18 11 8(魯を取る。魯君を莒に封ず) 3 10
254 53 23 19 12 9 燕王喜元年 11
253 54 24 20 13 10(鉅陽に徙る) 2 12
252 55 25(衛元君元年) 21 14 11 3 13
251 56 26 22 15(平原君卒す) 12(柱国景伯死す) 4(趙を伐つが趙が我が軍を破り栗腹を殺す) 14
250 秦孝文王元年 27 23 16 13 5 15
249 秦莊襄王楚元年、蒙驁が成皋・滎陽を取る。初めて三川郡を置く。呂不韋が相となる。東周を取る 28 24(秦が我が成皋・滎陽を抜く) 17 14(楚が魯を滅ぼす。頃公は卞に遷され庶民となり祀が絶える) 6 16
248 2(蒙驁が趙の榆次・新城・狼孟を撃ち三十七城を得る。日食) 29 25 18 15(春申君が呉に徙封される) 7 17
247 3(王齮が上党を撃つ。初めて太原郡を置く。魏公子無忌が五国を率い我が軍を河外で退ける、蒙驁は解いて去る) 30(無忌が五国兵を率い秦軍を河外で破る) 26(秦が我が上党を抜く) 19 16 8 18
246 始皇帝元年、晉陽を撃ち取る。鄭国渠を作る 31 27 20(秦が我が晉陽を抜く) 17 9 19
245 2 32 28 21 18 10 20
244 3(蒙驁が韓を撃ち十三城を取る。王齮死す) 33 29(秦が我が十三城を抜く) 趙悼襄王偃元年 19 11 21
243 4(七月、蝗が天下を蔽う。百姓が粟千石を納めれば爵一級を拝す) 34(信陵君死す) 30 2(太子が秦への質より帰る) 20 12(趙が我が武遂・方城を抜く) 22
242 5(蒙驁が魏の酸棗など二十城を取る。初めて東郡を置く) 魏景湣王元年、秦が我が二十城を抜く 31 3(趙相・魏相が柯で会し盟う) 21 13(劇辛が趙で死す) 23
241 6(五国が共に秦を撃つ) 2(秦が我が朝歌を抜く。衛が濮陽より野王に徙る) 32 4 22(王が東の寿春に徙り郢と命名) 14 24
240 7(彗星が北方・西方に見える。夏太后薨。蒙驁死す) 3(秦が我が汲を抜く) 33 5 23 15 25
239 8(嫪毐を長信侯に封ず) 4 34 6 24 16 26
238 9(彗星見る、天を横切る。嫪毐が乱を起こしその舍人を蜀に遷す。彗星再び見る) 5(秦が我が垣・蒲陽・衍を抜く) 韓王安元年 7 25(李園が春申君を殺す) 17 27
237 10(相国呂不韋を免ず。斉・趙が来て置酒。太后が咸陽に入る。大索する) 6 2 8(秦に入り置酒) 楚幽王悼元年 18 28(秦に入り置酒)
236 11(呂不韋が河南に行く。王翦が鄴・閼与を撃ち九城を取る) 7 3 9(秦が我が閼与・鄴を抜き九城を取る) 2 19 29
235 12(四郡の兵を発し魏を助け楚を撃つ。呂不韋卒す。嫪毐の舍人で蜀に遷された者を復す) 8(秦が我を助け楚を撃つ) 4 趙王遷元年、秦・魏が我を撃つ 3 20 30
234 13(桓齮が平陽を撃ち趙扈輒を殺し首十万を斬る。東へ撃つ。趙王が河南に行く。彗星見る) 9 5 2(秦が我が平陽を抜き扈輒を破り首十万を斬る) 4 21 31
233 14(桓齮が平陽・武城・宜安を定める。韓が非を使わすが我はこれを殺す。韓王が臣を請う) 10 6 3(秦が我が宜安を抜く) 5 22 32
232 15(軍を興し鄴に至る。軍が太原に至る。狼孟を取る) 11 7 4(秦が我が狼孟・鄱吾を抜く。軍が鄴に至る) 6 23(太子丹が秦に質となり逃れ帰る) 33
231 16(麗邑を置く。卒を発し韓の南陽を受ける) 12(秦に城を献ず) 8(秦が来て地を受ける) 5(地大いに動く) 7 24 34
230 17(内史騰が韓王安を撃ち得て、その地を尽く取り潁川郡を置く。華陽太后薨) 13 9(秦が王安を虜にする、秦が韓を滅ぼす) 6 8 25 35
229 18 14(衛君角元年) 7 9 26 36
228 19(王翦が趙を抜き王遷を邯鄲で虜にする。帝太后薨) 15 8(秦の王翦が王遷を邯鄲で虜にする。公子嘉が自立し代王となる) 10(幽王卒し弟の郝が立ち哀王となる。三月、負芻が哀王を殺す) 27 37
227 20(燕太子が荊軻に王を刺させようとするが発覚。王翦が将となり燕を撃つ) 魏王假元年 代王嘉元年 楚王負芻元年、負芻は哀王の庶兄 28(太子丹が荊軻に秦王を刺させようとし秦が我を伐つ) 38
226 21(王賁が楚を撃つ) 2 2 2(秦が我を大破し十城を取る) 29(秦が我が薊を抜き太子丹を得る。王は遼東に徙る) 39
225 22(王賁が魏を撃ちその王假を得てその地を尽く取る) 3(秦が王假を虜にする) 3 3 30 40
224 23(王翦・蒙武が楚軍を撃破しその将項燕を殺す) 4 4(秦が我が将項燕を破る) 31 41
223 24(王翦・蒙武が楚を破りその王負芻を虜にする) 5 5(秦が王負芻を虜にする。秦が楚を滅ぼす) 32 42
222 25(王賁が燕を撃ち王喜を虜にする。又撃って代王嘉を得る。五月、天下大いに酒宴) 6(秦将王賁が王嘉を虜にする、秦が趙を滅ぼす) 33(秦が王喜を虜にし遼東を抜く、秦が燕を滅ぼす) 43
221 26(王賁が斉を撃ち王建を虜にする。初めて天下を併せ皇帝と称す) 44(秦が王建を虜にする、秦が斉を滅ぼす)

秦の統一後(始皇帝二十七年~二世三年、前220年~前207年)

  • 27年(前220年)河の名を「德水」と改める。金人十二を作る。民を「黔首」と呼ぶ。天下の文字を統一する。天下を三十六郡に分ける。
  • 28年(前219年)阿房宮を造る。衡山に行く。馳道を整える。琅邪へ行き南郡を経て入る。太極廟を作る。戸ごとに爵一級を賜う。
  • 29年(前218年)郡県に大索(大捜索)を十日間命ずる。琅邪へ行き上党を経て入る。
  • 30年(前217年)記事なし。
  • 31年(前216年)臘を「嘉平」と改称する。黔首に里ごとに米六石・羊二頭を賜い嘉平を祝う。大索を二十日間命ずる。
  • 32年(前215年)碣石へ行き上郡を経て入る。
  • 33年(前214年)逃亡者・商人・入り婿を陸梁の地に送り桂林・南海・象郡を置き戍を課す。西北の戎の地を取り三十四県とする。長城を河のほとりに築き蒙恬に三十万を率いさせる。
  • 34年(前213年)獄を不当に扱った者を長城建設に送る。南方の越の地を取る。過去の誤審を再審する。
  • 35年(前212年)直道を作り九原を経て甘泉に通す。
  • 36年(前211年)民を北河・榆中に徙し、耐罪(髭を剃るだけの軽罪)で徙された者を三か所に配し爵一級を賜う。石が東郡に落ち「地分かれる」の文字があった。
  • 37年(前210年)十月、帝が会稽・琅邪へ行き、帰路の沙丘で崩御。子の胡亥が立ち二世皇帝となる。蒙恬を殺す。九原を経て入る。銭の流通を再開する。
  • 二世元年(前209年)十月戊寅、罪人を大赦。十一月、兔園を作る。十二月、阿房宮の造営に着手。九月、郡県が皆反す。楚の兵が戲に至り、章邯がこれを撃退する。衛君角を廃し庶人とする。
  • 二世2年(前208年)将軍章邯・長史司馬欣・都尉董翳が楚兵を追い河に至る。丞相の李斯・馮去疾、将軍馮劫を誅する。
  • 二世3年(前207年)趙高が反し、二世は自殺、高は二世の兄の子嬰を立てる。子嬰は立つと高を刺殺し三族を夷する。諸侯が秦に入り、嬰は降伏するが項羽に殺される。まもなく項羽も誅され、天下は漢に帰属する。