資治通鑑唐紀六十八 懿宗 咸通 十二年 751年

正月 文懿公主の葬送

  • 正月辛酉、同昌公主は文懿公主と追諡されて葬られた。
  • 韋氏一族は庭祭の灰をさらって、その中に残る金銀を拾い集めた。葬具・調度は一品ごとに百二十輿にも及び、錦繍・珠玉で飾られた明器と儀衛は三十余里にわたって輝いた。
  • 酒百斛、餅や甘味を四十頭分の駱駝に積んで輿丁に与えた。
  • 懿宗と郭淑妃は公主を忘れられず、楽工李可及に「歎百年曲」を作らせた。数百人の舞人に内庫の宝物を頭飾りとして与え、絁八百匹を敷物としたため、舞が終わると珠玉が地に散乱した。

宰相間の対立

  • 魏博留後の韓君雄は節度使に任ぜられた。
  • 宰相の路巖と韋保衡は、もとは互いに支え合って権勢を振るっていたが、やがて主導権争いから仲が悪くなった。
  • 夏四月癸卯、路巖は西川節度使として外任に出された。
  • 路巖が都を去る際、道行く人々は瓦礫を投げつけた。京兆尹薛能は路巖に皮肉を言われると、そもそも宰相が外任される際に府が兵を出して警護する先例はないと静かに答え、路巖を恥じ入らせた。

仏事と人事

  • 五月、懿宗は安国寺に行幸し、僧の重謙・僧澈に二丈の沈香・白檀の講座を下賜し、万人の斎会を設けた。
  • 七月、盧耽は同平章事を帯びて山南東道節度使となった。
  • 冬十月、劉鄴が礼部尚書・同平章事に任ぜられた。